元原発労働者斉藤征二さんのお話
http://www.bians.jp/bians_next/genpatu/2013news/hito/hito2013_11.htmlより
ピープルズニュース 下請け被曝労働者の組合を!全日本運輸一般・元原子力発電所分会長 斉藤征二さん 3月10~11日にわたって、郡山で開催された「原発いらない地球(いのち)のつどい」。参加企画として、3月10日に行われた「原発労働者の労働運動─経験と課題」を取材した。原発下請労組「全日本運輸一般・原子力発電所分会」分会長・斎藤征二さんの講演と、講演後のインタビューを基に報告する。
斉藤さんは、「どこにでも話をしに行く」とのことで、頭が下がる思いだ。 福島での事故収束作業では、「緊急事態」を口実に多くの労働者が、被曝労働を強いられている。住民も放射能に苦しめられている。放射能汚染に苦しむすべての人々と、被曝労働者の連帯を目指すために、かつての原発分会、分会長である斉藤さんの話しを聞き、新たな取り組みを構想したい、と主催者は語る。 まず、この日の斎藤征二さんの話を要約する。
斎藤さんは玄海原発で、米企業であるウェスティングハウス(当時の国内原発はすべてアメリカ製)の社員が主導する言葉の通じない中での配管作業を経験した。以下は、斉藤さんの発言要旨だ。 (以下一部全文と写真説明は1442号を入手ください。購読申込・問合せはこちらまで) http://www.jimmin.com/mail/postmail.html
ピンハネ・使い捨て―前近代的労働慣行が横行する原発
斉藤…配管からの汚染水の漏れは、日常的に起きている。それらの配管の穴をハンマーで叩き、漏れを防ぐ。その杜撰な作業に疑問を感じながらも作業を続けたが、それが電気事業法の違反であることが分かった。
私自身の作業箇所によってだ。
その直後、国、県等関係機関が立ち入り調査に入り、次々に違法工事が発覚し、5月から始まる定期検査が中止になり、その点検に呼ばれていた多くの作業員が一斉にクビとなったため、私は、原発下請け労働者の労働組合を作る決意をした。職場の中で組合運動を展開させることは、不可能。バレればクビになる。暴力団による妨害もあった。仲間とともに作業員の各家庭をまわり、作業員の家族を交えて説得し、1981年に、183名の組合員を集め、組織化することに成功した。 原発に於ける最末端の多くの下請け労働者には、労働契約が交わされていない。当時元請けに支払われた、 3・7~4万円の賃金が一次、二次、三次という多重構造によりピンハネ(中間搾取)され、末端では1日7000円足らずでの労働者も多くいる。
その最末端である彼らの作業には技術はまったく不要で、役割は一言で言えば「被曝すること」だ。 ウエスによる拭き取り作業などの単純作業だが、彼らこそが最大の被曝労働者であり、まさに放射能への特攻隊だ。原発内には無数の配管が張り巡らされており、無数のバルブが作業の困難な高所に集中し、そこから蒸気が漏れる。タンクに亀裂が生じたり、ポンプの故障も多発している。それらから撒き散らされる汚染水が、高温・多湿のため床にこびり付き、それを剥がし取る作業―それが、原発内作業の基本だ。「大きな地震に見舞われればどうなるか?」心配だったが、それが今、福島で、起きている。
血を吐き倒れる原発ジプシー 労働者の本当の被曝状況を知っているのは、当局(日本全国全ての発電所)だ。労働者を検査しても、データを本人には教えない。東芝、日立、三菱等、原発メーカーも、ホール・ボディー・カウンターによる内部被曝検査の結果を知っている。それらのデータは色分けされ、「この労働者はもう助からない」などと彼らは評価している、と聞いてている。
今後、福島で起こるであろうことも、彼らは予測しているに違いない。1980年当時、年間50ミリSV、3ヶ月30ミリSVが作業基準であり、その数値ですら、かつて組合から引き下げを要求していたにもかかわらず、福島原発事故後、国は年間500ミリSVまで上げた。
私自身、半年間の現場作業によって受けた被曝量は22・6ミリSVに過ぎないが、その後、緑内障で両眼を手術し、甲状腺に2ミリほどの血の塊ができ、摘出。そして心筋梗塞。脊髄、骨髄にも異常が起きるなど、身体を全部壊した。被曝と健康被害の因果関係は認められていない。だが、低レベル内部被曝(チリ、ホコリ等吸いこむ)による健康被害だと、私は確信している。
多くの労働者が、原発ジプシーとして全国の原発を転々とし、職場で血を吐き、倒れている。労働契約も交わされない作業員が倒れても、会社は関知しない。自己責任だ。彼らの多くは、「被曝者管理手帳」の存在さえ知らない労働者も多い。教えられてもいないからだ。病気になった時、初めて自分には何の保証もないことに気づく。突然死も多い。命を預けるマスクのフィルターには欠陥品が多く、線量を感知するアラームメーターにも故障が多い。つまり、運が悪ければとてつもない被曝を受ける。《低レベルでも被曝する》ということを立証し、認めさせることが重要だ。
被曝を押しつけられる下層労働者 この国最大の危機を回避するために働く下請け労働者の多くが、命を削りつつ、組合はおろか労働契約も交わされないまま、被曝労働を強いられている。その収束・廃炉のために、今後100万人単位の労働者が必要とさえ言われる。事故収束後も、廃炉でさらに高線量の被曝作業が待ち受け、膨大な作業員を必要とする。廃炉作業に伴うリスクは、いったい誰が背負うのか?
斎藤さん達の労組結成から2年後、1983年1月、石川県羽咋郡志賀町で行われた、地元の広域商工会主催による原発講演会で、当時の高木孝一敦賀市長は、莫大な交付金によるメリットを挙げた後、こう言い放った―「その代わりに、100年経って障がい児が生まれてくるか、わかりませんよ。けど、今の段階では、(敦賀原発を)おやりになった方がよいのではなかろうか。こういうふうに思っております」 ―敦賀原発は82年に着工され、87年に営業運転を開始した。
悪名高い、原発専門の最大手人材派遣会社=アトックスは、首都圏から何も知らない20代の若者を集め、福島にも送り込んでいる。彼らの主な作業は、ウエスによる見えない汚染物質の拭き取りだ。それが原発内作業の基本であり、被曝労働の実態だ。 行き場のない人、訳ありの人、差別される人々が、被曝労働に従事し、原発内でも差別を受け続けている。だが、彼らなしに原発を支えることはできない。そうした環境に労働運動を持ち込むことが極めて困難なことは、容易に想像がつく。
反原発運動内でも、分断と対立がある。 仙台に住む僕達が「反原発」を叫ぶほどに、福島の人々は硬直してしまい、分断が深まっていく現実がある。だからこそ、反原発運動にはこれまでの労働運動とは違う運動が必要だ。被災地とも原発労働者とも繋がりを持つことの重要性だ。地域再生のためにも、地域や課題を越えて連携することが必要だ。 http://www.jimmin.com/htmldoc/144201.htm