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2012年12月12日水曜日


4号炉が危険です!(ページ末を参照)
福島の人全員知ってほしい!
命が一番大事!

沖縄県庁098-866-2143に

すぐ電話!12月27日(木)メ切り!

移住支援制度で航空券、ホテル代、2年間家賃無料!

 

県のホームページ(各家庭に即した、細かな条件があるので、まずは電話するのが大事です)http://www.pref.okinawa.jp/site/chijiko/bosai/24203.html


那覇市ハローワーク TEL 098-866-8609

沖縄起業支援 沖縄労務管理センター TEL 050-1392-6792


 

不動産・求人情報 うちなーらいふhttp://www.e-uchina.net/

(うちなーらいふは沖縄のコンビニに売っていますが、取り寄せたい場合は098-860-0005まで)


PCでも携帯でも!沖縄仕事情報サイト ウエブWeb アグレAgre

(沖縄のコンビニで無料冊子置いてある)

http://webagre.com/


支援対象:自らの資力では住宅を確保することができない者であり、かつ福島県から避難してきた者(地震発生時に福島県に居住していた者に限ります。) 災害救助法に基づく「住宅の応急修理制度」を受けられた方や、他の応急仮設住宅に避難されている方は、救助が完了したとみなされ支援対象外となります。http://www.pref.okinawa.jp/site/chijiko/bosai/24203.html

必要な書類は、罹災証明書、住民票、身分証明書です。詳しくは県庁の係の人に聞いて頂きたいですが、判定会議にかけたり、航空券の手配などもあり、また12月後半は飛行機も込みますので、なるべく早いに越したことはありません。12月28日に賃貸契約完了が条件です。こちら(http://www.e-uchina.net/098-860-0005で取り寄せ)ご参考にして直接不動産屋さんとやり取りするのも手かもです。


4号炉の状況については以下参照:

岩上安身氏@iwakamiyasumiのツイッターより

村田光平元駐スイス大使から、先ほどメールで驚くべき情報が届けられた。福島第一原発4号機の使用済み核燃料を貯蔵したプールのコンクリートがボロボロに痛んできており、冷却水を送るポンプが故障し、秘かに復旧作業をしているという

村田氏ご本人に電話で確認の上、以下、全文を明らかにする。


元スイス大使、村田光平氏より

岩上安身様 9日に寄せられた下記の情報をお届けいたします。
9日に寄せられた情報)

4号機だが、何日か前から、燃料貯蔵プールに冷却水を送るポンプが故障ぎみだったが、ついに昨日、故障してしまった、と。

そのため緊急招集がかけられ、作業員が懸命にポンプの交換作業をしているが、あと2~3日はかかるそうだ。臨時の作業員が南の方から[夜間も]ヘリで運ばれてきている、と。

上の作業員の話では、4号機の燃料貯蔵プールを補強したコンクリートがボロボロに傷んできていて、「危険な状態」になっているそうだ。

ここまでが9日に村田光平元駐スイス大使に寄せられたという情報の引用。)


以下は村田元大使から私宛のメール

『東北エンタープライズ』の名嘉会長に電話したところ故障の事実を認めました。
復旧に2,3日もかからないのではないかとの意見でした。


4号機の冷却装置は故障中との情報を大島賢三原子力規制委員に伝えたところ、「9日5時すぎより東電が現地に確認したと して、状況は十分コントロールされている」との報告がありました。

本日、11日午後、名嘉会長及び大島規制委員と連絡を取り4号機冷却装置の故障の復旧 を確認いたしました。

なぜ報道されなかったのか、地元への通報の有無を含め問題が残されました。

「また、大手企業の元幹部の次のような見解は傾聴に値します。『心配していた事態が起こったようですね。ポンプの故障だけならまだ愁眉を開けるかもしれませんが、4号機の支持基盤が目に見えない所で毀損していると事態は深刻になりそうです。」

「M≒8の余震が起こる可能性も指摘されているのでこの問題は官民ともしっかりフォローしてもらいたいと思います。」

昨今敦賀原発の活断層と絡んで、休炉・廃炉さえすれば問題が解決するかのごとき論調が、政治家やメディアの間で出回っているので、余計心配になります。

ご活躍をお祈り致します。村田光平」

このメールを受け取ったあと、村田元大使に電話してお話をうかがった。

以下、村田元大使の話。

「この情報は、各全国紙の編集局長各氏、NHKの編集局長ら、主要なマスコミのキーパーソンにはみんな送ったのですが、すべて黙殺です。」

「どこのマスコミも報じない。驚きました。まだ、原子力独裁は続いているのですね。
福島県庁の災害本部の課長にも電話しましたが、4号機プールの冷却水ポンプ故障の件は知らない様子でした。地元福島への通報はなされていないようです。メールは全文公開してくださって結構です」

2012年11月27日火曜日

政府へ圧力を!国連人権委員会の発表を活用しよう!

まずはこちらも賛同と拡散お願い~緊急拡散!移住支援制度の打ち切りに反対する悲痛な叫び!賛同ボタンを押して拡散お願い!

障害児を持つ福島のお母さんより~

http://chn.ge/11KyFSs

国連人権理事会 特別報告者のプレス・ステートメント
プレスリリース12-058-J 2012年11


達成可能な最高水準の心身の健康を享受する権利に関する
国連人権理事会特別報告者
アナンド・グローバー
訪日期間:2012 年11 月15 日~26 日


国際連合広報センターブログhttp://unic.or.jp/unic/press_release/2869/ より

プレス・ステートメント
2012 年11 月26 日
東京


記者の皆様、ご臨席の皆様

最初に、日本にお招きいただき、興味深く充実した会合や各地の訪問調査プログラムを円滑に進められるよう手配いただきました日本政府の皆様に、心より感謝申し上げます。今回の訪問中、政府関係者の方々、東京電力株式会社の役員の方々、医療・法律専門家の方々、そして地域や市民社会の代表者の方々にお会いしました。福島県および宮城県で地震、津波および原発事故の被害に見舞われた地域も訪問しましたが、訪問する先々で常に温かく丁重に迎えていただきました。また、政府高官の方々とも率直な意見を交換いたしました。特別報告者としてのミッションが円滑に進むよう、手配いただいた政府・関係省庁の方々のご尽力に感謝しております。この場をお借りいたしまして、貴重なお時間をいただき経験を伝えて下さった皆様全員に感謝申し上げます。

達成可能な最高水準の心身の健康を享受する権利(「健康を享受する権利」)に関する国連人権理事会特別報告者としてのミッションを説明した簡単な資料を、この会場に用意しております。端的に申しますと、私は健康を享受する権利の実現に関して国連人権理事会および国連総会に報告・勧告する独立専門家です。国連人権理事会から任命を受けましたが、国連に雇われているわけではなく、名誉職という立場で今回の任務を遂行しています。独立専門家として、私なりの結論と提言をまとめるべく、専門的判断を下します。

本日の発表は、予備的考察の一部に限らせていただきます。詳細につきましては、2013 年6 月に国連人権理事会に提示する最終報告で発表いたします。

ご臨席の皆様

今回の私のミッションは、対話と協力の精神を胸に、日本がいかに健康を享受する権利を実行しようと努めているか把握し、それを首尾よく実現させるための方策並びに立ちはだかる障害について理解することです。より具体的には、地震、津波、原発事故という三重の災害への対応に伴う課題と方策、そこから得た教訓やグットプラクティスに焦点を当てることなどを通じて、東日本大震災を経た現在の状況における、健康を享受する権利の実現に取り組んできました。

ここで本題に入る前に、まず大切なご家族を亡くされた方々に対して、心からお悔やみ申し上げます、そして地震、津波、原発事故の被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。

2011 年3 月11 日、東北地方を地震、津波、そして人災による原発事故が次々と襲い、日本は未曾有の原発事故に見舞われました。死者約1 万8000 人、負傷者は数千人に達した この非常事態に対して、積極的にリーダーシップを発揮した日本政府に敬意を表したいと思います。

また、政府による東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会および国会による東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(NAIIC)がまとめた報告書などの様々な報告書にも留意しています。この件について活発な議論を歓迎します。

原子力発電所で事故が発生した場合の災害管理計画について近隣住民が把握していなかったのは残念なことです。実際、福島県双葉町の住民の方々は、1991 年に締結された安全協定により、東京電力の原子力発電所は安全であり、原発事故が発生するはずなどないと信じてきたのです。

独立した立場からの原子力発電所の調査、モニタリングの実施を目指し、原子力規制委員会を設立した日本政府は賞賛に値します。これにより、従来の規制枠組みに見られた「断層」、すなわち、原子力発電所の独立性と効果的なモニタリング体制の欠如ならびに、規制当局の透明性と説明責任の欠如への対応を図ることが可能になります。こうしたプロセスは強く望まれるものであり、国会の東京電力福島原子力発電所事故調査委員会の報告でも提言されています。従って、原子力規制委員会の委員長や委員は、独立性を保つだけでなく、独立性を保っていると見られることも重要です。この点については、現委員の利害の対立を開示するという方策が定着しています。日本政府に対して、こうした手順を出来るだけ早急に導入することを要請いたします。それにより、精査プロセスの独立性に関する信頼性を構築しやすくなるでしょう。

皆様、

原発事故の直後には、放射性ヨウ素の取り込みを防止して甲状腺ガンのリスクを低減するために、被ばくした近隣住民の方々に安定ヨウ素剤を配布するというのが常套手段です。私は、日本政府が被害にあわれた住民の方々に安定ヨウ素剤に関する指示を出さず、配布もしなかったことを残念に思います。にもかかわらず、一部の市町村は独自にケースバイケースで安定ヨウ素剤を配布しました。

災害、なかでも原発事故のような人災が発生した場合、政府の信頼性が問われます。従って、政府が正確な情報を提供して、住民を汚染地域から避難させることが極めて重要です。しかし、残念ながらSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)による放射線量の情報および放射性プルームの動きが直ちに公表されることはありませんでした。さらに避難対象区域は、実際の放射線量ではなく、災害現場からの距離および放射性プルームの到達範囲に基づいて設定されました。従って、当初の避難区域はホットスポットを無視したものでした。これに加えて、日本政府は、避難区域の指定に年間20 mSv という基準値を使用しました。これは、年間20 mSv までの実効線量は安全であるという形で伝えられました。また、学校で配布された副読本などの様々な政府刊行物において、年間100 mSv 以下の放射線被ばくが、がんに直接的につながるリスクであることを示す明確な証拠はない、と発表することで状況はさらに悪化したのです。

年間20 mSv という基準値は、1972 年に定められた原子力業界安全規制の数字と大きな差があります。原子力発電所の作業従事者の被ばく限度(管理区域内)は年間20 mSv(年間50 mSv/年を超えてはならない)、5 年間で累計100mSv、と法律に定められています。3 ヶ月間で放射線量が1.3 mSv に達する管理区域への一般市民の立ち入りは禁じられており、作業員は当該地域での飲食、睡眠も禁止されています。また、被ばく線量が年間2mSv を超える管理区域への妊婦の立ち入りも禁じられています。

ここで思い出していただきたいのは、チェルノブイリ事故の際、強制移住の基準値は、土壌汚染レベルとは別に、年間5 mSv 以上であったという点です。また、多くの疫学研究において、年間100 mSv を下回る低線量放射線でもガンその他の疾患が発生する可能性がある、という指摘がなされています。研究によれば、疾患の発症に下限となる放射線基準値はないのです。

残念ながら、政府が定めた現行の限界値と、国内の業界安全規制で定められた限界値、チェルノブイリ事故時に用いられた放射線量の限界値、そして、疫学研究の知見との間には一貫性がありません。これが多くの地元住民の間に混乱を招き、政府発表のデータや方針に対する疑念が高まることにつながっているのです。これに輪をかけて、放射線モニタリングステーションが、監視区域に近接する区域の様々な放射線量レベルを反映していないという事実が挙げられます。その結果、地元住民の方々は、近隣地域の放射線量のモニタリングを自ら行なっているのです。訪問中、私はそうした差異を示す多くのデータを見せてもらいました。こうした状況において、私は日本政府に対して、住民が測定したものも含め、全ての有効な独立データを取り入れ、公にすることを要請いたします。

健康を享受する権利に照らして、日本政府は、全体的かつ包括的なスクリーニングを通じて、放射線汚染区域における、放射線による健康への影響をモニタリングし、適切な処置をとるべきです。この点に関しては、日本政府はすでに健康管理調査を実施しています。これはよいのですが、同調査の対象は、福島県民および災害発生時に福島県を訪れていた人々に限られています。そこで私は、日本政府に対して、健康調査を放射線汚染区域全体において実施することを要請いたします。これに関連して、福島県の健康管理調査の質問回答率は、わずか23%あまりと、大変低い数値でした。また、健康管理調査は、子どもを対象とした甲状腺検査、全体的な健康診査、メンタル面や生活習慣に関する調査、妊産婦に関する調査に限られています。残念ながら、調査範囲が狭いのです。これは、チェルノブイリ事故から限られた教訓しか活用しておらず、また、低線量放射線地域、例えば、年間100 mSv を下回る地域でさえも、ガンその他の疾患の可能性があることを指摘する疫学研究を無視しているためです。健康を享受する権利の枠組みに従い、日本政府に対して、慎重に慎重を重ねた対応をとること、また、包括的な調査を実施し、長時間かけて内部被ばくの調査とモニタリングを行うよう推奨いたします。

自分の子どもが甲状腺検査を受け、基準値を下回る程度の大きさの嚢胞(のうほう)や結節の疑いがある、という診断を受けた住民からの報告に、私は懸念を抱いています。検査後、ご両親は二次検査を受けることもできず、要求しても診断書も受け取れませんでした。事実上、自分たちの医療記録にアクセスする権利を否定されたのです。残念なことに、これらの文書を入手するために煩雑な情報開示請求の手続きが必要なのです。

政府は、原子力発電所作業員の放射線による影響のモニタリングについても、特に注意を払う必要があります。一部の作業員は、極めて高濃度の放射線に被ばくしました。何重もの下請け会社を介在して、大量の派遣作業員を雇用しているということを知り、心が痛みました。その多くが短期雇用で、雇用契約終了後に長期的な健康モニタリングが行われることはありません。日本政府に対して、この点に目を背けることなく、放射線に被ばくした作業員全員に対してモニタリングや治療を施すよう要請いたします。

報道関係者の皆様、

日本政府は、避難者の方々に対して、一時避難施設あるいは補助金支給住宅施設を用意しています。これはよいのですが、 住民の方々によれば、緊急避難センターは、障がい者向けにバリアフリー環境が整っておらず、また、女性や小さな子どもが利用することに配慮したものでもありませんでした。悲しいことに、原発事故発生後に住民の方々が避難した際、家族が別々にならなければならず、夫と母子、およびお年寄りが離れ離れになってしまう事態につながりました。これが、互いの不調和、不和を招き、離婚に至るケースすらありました。苦しみや、精神面での不安につながったのです。日本政府は、これらの重要な課題を早急に解決しなければなりません。

食品の放射線汚染は、長期的な問題です。日本政府が食品安全基準値を1kgあたり500 Bq から100 Bq に引き下げたことは称賛に値します。しかし、各5県ではこれよりも低い水準値を設定しています。さらに、住民はこの基準の導入について不安を募らせています。日本政府は、早急に食品安全の施行を強化すべきです。

また、日本政府は、土壌汚染への対応を進めています。長期的目標として汚染レベルが年間20 mSv 未満の地域の放射線レベルは1mSv まで引き下げる、また、年間20~50 mSv の地域については、2013 年末までに年間20 mSv 未満に引き下げる、という具体的政策目標を掲げています。ただ、ここでも残念なのは、現在の放射線レベルが年間20 mSv 未満の地域で年間1mSv まで引き下げるという目標について、具体的なスケジュールが決まっていないという点です。更に、他の地域については、汚染除去レベル目標は、年間1 mSv を大きく上回る数値に設定されています。住民は、安全で健康的な環境で暮らす権利があります。従って、日本政府に対して、他の地域について放射線レベルを年間1mSv に引き下げる、明確なスケジュール、指標、ベンチマークを定めた汚染除去活動計画を導入することを要請いたします。汚染除去の実施に際しては、専用の作業員を雇用し、作業員の手で実施される予定であることを知り、結構なことであると思いました。しかし、一部の汚染除去作業が、住人自身の手で、しかも適切な設備や放射線被ばくに伴う悪影響に関する情報も無く行われているのは残念なことです。

また、日本政府は、全ての避難者に対して、経済的支援や補助金を継続または復活させ、避難するのか、それとも自宅に戻るのか、どちらを希望するか、避難者が自分の意志で判断できるようにするべきです。これは、日本政府の計画に対する避難者の信頼構築にもつながります。

訪問中、多くの人々が、東京電力は、原発事故の責任に対する説明義務を果たしていないことへの懸念を示しました。日本政府が東京電力株式の大多数を所有していること、これは突き詰めれば、納税者がつけを払わされる可能性があるということでもあります。健康を享受する権利の枠組みにおいては、訴訟にもつながる誤った行為に関わる責任者の説明責任を定めています。従って、日本政府は、東京電力も説明責任があることを明確にし、納税者が最終的な責任を負わされることのないようにしなければなりません。

訪問中、被害にあわれた住民の方々、特に、障がい者、若い母親、妊婦、子ども、お年寄りなどの方々から、自分たちに影響がおよぶ決定に対して発言権がない、という言葉を耳にしました。健康を享受する権利の枠組みにおいては、地域に影響がおよぶ決定に際して、そうした影響がおよぶすべての地域が決定プロセスに参加するよう、国に求めています。つまり、今回被害にあわれた人々は、意思決定プロセス、さらには実行、モニタリング、説明責任プロセスにも参加する必要があるということです。こうした参加を通じて、決定事項が全体に伝わるだけではなく、被害にあった地域の政府に対する信頼強化にもつながるのです。これは、効率的に災害からの復興を成し遂げるためにも必要であると思われます。

日本政府に対して、被害に合われた人々、特に社会的弱者を、すべての意思決定プロセスに十分に参加してもらうよう要請いたします。こうしたプロセスには、健康管理調査の策定、避難所の設計、汚染除去の実施等に関する参加などが挙げられるでしょう。

この点について、「東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする住民等の生活を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進に関する法律」が2012 年6 月に制定されたことを歓迎します。この法律は、原子力事故により影響を受けた人々の支援およびケアに関する枠組みを定めたものです。同法はまだ施行されておらず、私は日本政府に対して、同法を早急に施行する方策を講じることを要請いたします。これは日本政府にとって、社会低弱者を含む、被害を受けた地域が十分に参加する形で基本方針や関連規制の枠組みを定める、よい機会になるでしょう。

ご清聴ありがとうございました。

UN Special Rapporteur's Press Statement
Press Release 12-058-E 26/11/2012

UN Special Rapporteur on the right of everyone to the enjoyment of the highest attainable standard of physical and mental health

Mr. Anand Grover

Country Visit to Japan, 15 to 26 November 2012

Press-statement

Tokyo, 26 November 2012


Members of the press,
Ladies and gentlemen,


Allow me to begin by warmly thanking the Government for inviting me to Japan and for facilitating a rich and interesting programme of meetings and visits. During my visit, I have met with Government officials, officials of the Tokyo Electric Power Company (TEPCO), medical and legal experts as well as representatives of communities and civil society. I have also visited cities and communities in Fukushima and Miyagi prefectures, which were affected by the earthquake, tsunami and nuclear power plant accident. Throughout my visit, I have been welcomed with warm hospitality and courtesy. There has been a candid and frank exchange of views with senior Government officials. I am grateful to the Government and relevant ministries for all their efforts in organizing and facilitating my mission. I take this opportunity to thank all those who have given me the benefit of their time and experience.

You will find in this room a short document that explains my responsibilities as the UN Special Rapporteur on the right of everyone to the enjoyment of the highest attainable standard of physical and mental health (the right to health). In brief, I am an independent expert who reports to and advises the UN Human Rights Council and the UN General Assembly on the realization of the right to health. Although appointed by the Human Rights Council, I am not employed by the United Nations and the position I hold is honorary. As an independent expert, I exercise my professional judgment in order to arrive at my conclusions and recommendations.

Today, I would like to confine myself to discussing some of my preliminary observations, which will be explored in more detail in the final report to be presented to the Human Rights Council in June 2013.

Ladies and Gentlemen,

The objective of my mission was to understand, in the spirit of dialogue and cooperation, how Japan endeavours to implement the right to health, the measures taken for its successful realization, and the obstacles encountered. More specifically, I have addressed the realization of the right to health within the context of the Great East Japan Earthquake, including a particular focus on challenges and actions taken in response to the nuclear accident, as well as lessons learned and good practices.

At the outset, I offer my condolences to the bereaved families who have lost their loved ones and those who have suffered on account of the earthquake, tsunami and the nuclear accident.

On 11 March 2011, Japan suffered an unprecedented triple disaster when the earthquake, tsunami and the man-made nuclear disaster occurred successively in the Tohoku region in Japan. The triple disasters saw the death of around 18,000 people and injury to thousands of others. I would like to commend the Government of Japan in being proactive in taking a leadership role in responding to the emergency.

I also take note of a number of reports, including those concluded by the Government appointed Investigation Committee on the Accident at Fukushima Nuclear Power Stations of Tokyo Electric Power Company and the Diet appointed Nuclear Accident Independent Investigation Commission (NAIIC). I welcome the vibrant debate on the issue.

It is regrettable to note that the local residents were not aware of disaster management plans in the event of a potential nuclear accident. In fact, local residents of Futaba city in Fukushima were led to believe by the Safety Agreement signed in 1991 that the TEPCO plant was safe and there would be no occasion for a nuclear accident.

I would like to commend the Government in setting up the Nuclear Regulatory Authority with a view to having an independent scrutiny and monitoring of the nuclear power plants. This addresses one of the fault lines in the earlier regulatory framework, namely the lack of independence and effective monitoring of nuclear power plants and the lack of transparency and accountability of regulatory authorities. This much-needed process has also been recommended by the report of the Nuclear Accident Independent Investigation Commission. It is therefore important that the chair and commissioners of the Nuclear Regulatory Authority are not only independent but are also seen to be independent. In this respect, it is well established to disclose any conflict of interest by potential incumbents. I recommend the Government to adopt such a procedure at the earliest, which will facilitate the building of confidence in the independence of the scrutinizing process.

Dear members of the press,

In the immediate aftermath of nuclear accidents, it is the established procedure to distribute stable iodine to the population in an attempt to block the uptake of radioactive iodine in those exposed to it, thereby reducing the risk of thyroid cancer. I regret to note that the Government neither gave instructions nor distributed stable iodine to the affected population. Nonetheless, some municipalities distributed stable iodine tablets in an ad-hoc manner.

Any disaster, in particular a man-made disaster like the nuclear accident, puts the credibility of the Government into question. It is therefore crucial that the Government provide accurate information and evacuate people from areas of contamination. However, it is regrettable that radiation dosage information through SPEEDI and the movement of the radioactive plume was not immediately communicated to the public. Moreover, evacuation zones were imposed on the basis of geographical distance from the site of the disaster and the footprint of the radioactive plume, rather than the actual radiation dosage. Initial evacuation zones therefore neglected hot spots. Furthermore, the Government used the threshold level of 20 mSv/year for the designation of evacuation zone. This conveyed the message that effective radiation dose up to 20 mSv/year was safe. It was further aggravated by the Government’s release of a number of publications, including school booklets, informing the public that there was no clear evidence of direct risk of cancer if a person was exposed to radiation dose up to 100 mSv/year.

The threshold level of 20 mSv/year is in contrast to the statutory legal limit imposed by the 1972 industrial safety regulation for the nuclear industry. For workers at a nuclear power plant, the maximum limit of exposure (in the controlled area) prescribed by law is 20 mSv/year (not exceeding 50 mSv/year) and a cumulative dose of 100mSv in five years. The law prohibits the entry of ordinary citizens into the controlled area with radiation dose of 1.3 mSv/quarter and further prohibits workers to eat, drink or sleep in that area. It also prohibits pregnant women to be exposed to radiation dose in a controlled area of over 2mSv/year.

I would like to recall that in Chernobyl the threshold limit for obligatory resettlement was 5 mSv/year or above, apart from soil contamination levels. There are also a significant number of epidemiological studies, which indicate that cancer and other diseases could occur in low dose radiation below 100 mSv/year. According to these studies, there is no low threshold limit for the occurrence of diseases.

It is unfortunate that inconsistency between the current limits imposed by policy on the one hand, and the limits prescribed by the industrial safety regulation in Japan, radiation limits used in Chernobyl and the findings in the epidemiological studies, on the other hand, has created confusion among a significant number of the local population, who increasingly doubt Government data and policy. This is further compounded by the fact that radiation monitoring stations do not reflect the varied dosage levels in areas in close proximity. As a result, local residents are carrying out their own monitoring of radiation dosage in their neighbourhoods. During the visit, I was shown ample data indicating the variance. In the circumstances, I would like to urge the Government to incorporate all validated independent data, including those from residents, and make them publicly available.

Ladies and Gentlemen,

According to the right to health, the Government should monitor the impact of radiation on people’s health in radiation-affected zones through holistic and comprehensive screening and provide appropriate treatment. In this regard, I am pleased to note that the Government has undertaken a health management survey. However, the health management survey is limited to the residents of and visitors to the Fukushima prefecture at the time of the disaster. I would urge the Government to expand health survey to all radiation-affected zones. Pertinently, the response rate to the questionnaire of the Fukushima health survey was only about 23 per cent, which is considerably low. Moreover, health check-ups are limited to thyroid examination for children, comprehensive health check, mental and life-style survey, and pregnancy and birth survey. The scope of the surveys is unfortunately narrow as they draw on the limited lessons from the Chernobyl accident and ignore epidemiological studies that point to cancer as well as other diseases in low-dosage radiation, even in areas of exposure below 100 mSv/year. Following the right to health framework, I would encourage the Government to err on the side of caution and carry out comprehensive studies, which would entail examining and monitoring of internal radiation exposure for a considerable length of time.

I am concerned about reports received from residents whose children underwent thyroid examination and whose results detected the presence of cyst and/or nodules below the threshold size under the protocol. Accordingly, those parents were neither allowed to obtain a second examination, nor given medical papers on demand, in effect denying them the right to access their own medical documentation. Unfortunately, they are required to undergo a cumbersome freedom of information act procedure to obtain these documents.

The Government also needs to pay special attention to the monitoring of the effects of radiation doses on nuclear plant workers, some of who were exposed to extremely high dosage of radiation. I was distressed to learn that there is a practice of employing a large number of contract workers through a layer of sub-contractors. A significant number of them are employed for short periods of time with no effective long-term monitoring of their health after their employment contracts is terminated. I call upon the Government to look into this and ensure that no workers, who have been exposed to radiation, are left without monitoring and/or treatment.

Dear members of the press,

I am pleased to note that the Government has made arrangements for the evacuees either through temporary shelters or subsidized accommodation. However, I learnt from residents that emergency evacuation centres did not provide accessible environment for people with disabilities or appropriate conditions for women with young children. It is tragic that evacuation of residents following the nuclear accident has caused painful separations in families, leading to a separation between the husband and the wife with the children, as well as from the elderly. This has led to disharmony, discord, and in some cases even divorce, leading to distress and mental health concerns. The Government should address these important issues urgently.

Radioactive contamination of food is a long-term issue. I commend the Government for reducing the threshold for food safety from 500 Bq/kg to 100 Bq/kg. However, individual prefectures have imposed lower threshold levels. Moreover, residents have raised concerns about the enforcement of the standards. The Government should strengthen the enforcement of food safety in an urgent manner.

I am pleased to note that the Government is carrying out soil decontamination activities with specific policy targets to reduce radiation levels in areas less than 20 mSv/year to 1mSv/year as a long-term goal, as well as in areas from 20 to 50 mSv/year to reduce exposure dose to less than 20 mSv/year by the end of 2013. I regret to note that there is no fixed timeline to reduce radiation in the area where current radiation level is less than 20 mSv/year to the level of 1 mSv/year. It is also unfortunate that in other areas the decontamination target is much higher than 1 mSv/year. The residents are entitled to live in a safe and healthy environment. I therefore urge the Government to adopt an action plan with clear timelines, indicators and benchmarks for decontamination to reduce radiation levels to 1 mSv/year for other areas. I was pleased to learn that decontamination is to be done by workers who are to be hired specially for this purpose. However, it is regrettable that some decontamination activities are carried out by residents themselves, without proper equipment or information about the harmful effects of radiation exposure.

In the meantime, I encourage the Government to continue and/or restore financial support and subsidies to all evacuees so that they can make a voluntary decision to evacuate or return to their homes, if they wish to do so. This will also help build confidence among evacuees in the Government’s plans.

During my visit, a number of people shared with me their apprehension that TEPCO is not being held accountable for its responsibility for the nuclear accident. The Government’s majority shareholding in TEPCO has meant that taxpayers may foot the bill, ultimately. The right to health framework provides for accountability of those actors who are liable for committing actionable wrongs. The Government should therefore ensure that TEPCO is also held accountable and that taxpayers are not foisted with the eventual liability.

Ladies and gentlemen,
Members of the press,


During the visit, I have also heard from the affected residents, and particularly from such groups as persons with disabilities, young mothers and pregnant women, children and older persons, that they have had no say in decisions that affect them. The right to health framework requires the State to ensure the participation of all communities in decisions that affect them. This means that the affected people need to be part of the decision-making process as well as of the implementation, monitoring and accountability processes. Participation would not only inform the decisions holistically but also build the confidence of the affected community in the Government, facilitate the implementation of those decisions and improve monitoring and accountability. This is also necessary in restoring normalcy after the disaster in an effective manner.

I urge the Government to ensure that the affected people, particularly the vulnerable groups, are fully involved in all decision-making processes. This should include their participation, among others, in the formulation of health management surveys, designing of evacuation shelters and implementation of decontamination.

In this respect, I welcome the enactment of the Act on the Protection and Support for the Children and other Victims of TEPCO Disaster in June 2012, which provides for a framework for support and care to the people who were affected by the nuclear accident. The Act has not been implemented yet. I urge the Government to take urgent measures to implement the Act. It is a good opportunity for the Government to frame the basic policy and subordinate regulations with the full participation of the affected communities, including vulnerable groups.

Thank you.

2012年10月17日水曜日

2011ノーモアヒバクシャ&原発!外国人記者クラブ会見動画と書き起こし2011No More Hibakusha Foreign Correspondents' Club in Japan by Mari Takenouchi





(発表者順)竹野内真理(7分30秒より)、肥田舜太郎(13分45秒より)、大石又七(20分50秒より)、梅田隆介(30分ごろより)、佐藤幸子(37分30秒より)
Mari Takenouchi, journalist 7'30''
Shuntaro Hida, Hiroshima Hibakusha doctor, 13:45
Matashichi Oishi, Bikini H-bomb incident victim, 20'50''
Ryosuke Umeda, former nuclear power plant worker, 30'
Sachiko Sato, Fukushima mother, 37'30''
スピーチの日本語と英語の全てのスクリプトはこのページにあります。
5 speakers presentation texts are provided both in Japanese and English on this page.
MUST READ!




この会見は外国特派員協会元副会長、理事の渡辺晴子氏にもおほめ頂きました。
http://www.rosetta.jp/fccj/111212.html

第66回 “ノーモア被曝者 ノ―モア原発”

広島・長崎原爆による死傷者20万人、ビキニ環礁水爆実験による船員の被曝、今や40万人に上る原発関連労働者、更にジワジワ増える福島原発の被曝者数。福島原発事故から8カ月。原爆、原発反対活動NGOが11月15日プレスクラブで合同記者会見を行った。

記者会見発表者の5人
(写真左の質問者はスウェーデン写真家ペール・ボドナー氏)

会見時間の割り振りや論点の整理に時間のかかる市民団体と個人が5人もまとまって記者会見をするのは珍しいが、調整役兼通訳の竹野内真理氏の人柄と実力でか会見自身は時間内で収まった。が、やはりこれだけ重いテーマを1時間で収めるのは無理。会見後にはロビーで三々五々のミーティングが行われていた。
photo
元広島陸軍病院医師 肥田舜太郎氏
記者会見の発表者は肥田舜太郎(医師、広島被曝者)、大石又七(第五福竜丸元船員、ビキニ環礁水爆実験被曝者)、梅田隆亮(元原発労働者)、竹野内真理(低線量被曝者の会共同代表)、佐藤幸子(子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク世話人)。(敬称略)
肥田医師は1945年8月には広島陸軍病院勤務、原爆当時はたまたま往診のため市外に出ていたため直爆死を逃れたが、その後65年間、内部被曝者を診察した。
  なかでも米国が広島と長崎に設立したABCC(Atomic Bomb Casualty Commission 原爆傷害調査委員会)が「内部被曝は放射線が微量で人体には全く無害」と宣伝したため、だるさを訴える患者は「ブラブラ病」神経症状や仮病といわれた。長年被害者として苦しんでいる患者を診るのは辛かったという。
肥田氏のもとには現在もなお福島や東北から鼻血、下痢、発熱、甲状腺の腫れ、紫斑の出ている被曝者と思われる大人やこども数百人から相談が寄せられている。94歳にして現役で働く肥田医師は、人類にとって唯一の生き延びる道は原爆、原発を全廃することだけだと淡々と述べた。
photo
線量計を見せる佐藤幸子氏
大石又七氏はアメリカが広島に投下した原爆の1000倍もの巨大な水爆実験をビキニ環礁で行った時の被曝者で、船員たちは米軍の証人抹殺爆撃を恐れて日本に帰港するまで被曝のSOSすら発信できなかったという。核実験反対の日本世論の方向を変えた読売新聞社主正力松太郎氏と、原子力予算を国会で通過させたと中曽根康弘氏を強く批判した。
梅田氏は原発作業員の健康相談窓口開設、安全教育の実施、労災補償問題を訴え、翻訳家の竹野内真理氏はロシアの研究を紹介し、日本のマスメディアが報道しない低線量被曝問題を指摘、佐藤幸子氏は有機農業を営む母親として子どもの命を守るために行動を、とアピールした。
ヨーロッパは日本の原発問題に対して関心が高く、スエ―デン写真家のペール・ボドナー氏は「米国科学アカデミーの測定によれば半径20Kmではなく70Km以内で通常の8倍の線量を観測した、とBBCが報道したが、現地ではどう受け止められているか」と質問。子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク世話人の佐藤幸子氏は実際に子どもたちが身につけている近畿大学から提供された線量計を見せた。ただし3カ月ごとに集計された結果は個人情報保護のためでもあり、学年単位の発表になっているという。福島県民200万人を原発のためのモルモットにしないで、と厳しくアピールした。
今回の記者会見では外国プレス以外の日本の報道機関やNGOの参加が多かった。会見後のロビーでは日本プレスが発表者や外国プレスに長時間取材を行っていた。

2011.12.12 掲載

しかし、5,60人もの国内外の記者がいたのに、全くカバーされず。


原発導入と被曝と健康被害の問題はいまだにタブーなのか?
The above press conference was praised by a former vice chairperson of FCCJ, but not covered by any media though there were as many as 5~60 journalists there...

Are health issue due to radiation exposure and introduction of nuclear power by CIA still a taboo?





I wanted to hold a press conference for ETHOS criminal assucation case in May 2014, but it was not accepted this time due to the concurring Ohi Nuclear power plant judgement, which was considered to be more of a priority...

今回エートス刑事告訴を受けてからずっと打診していたのですが、大飯原発差し止め裁判の方が優先されるとして、見送られることになりました。とても残念です。経緯について以下のページの前半部分に少し書きました。http://koukaishitsumon.blogspot.jp/2014/03/to-jpn-bar-association.html



2011年11月15日、外国人記者クラブ
ノーモアヒバクシャ!ノーモアゲンパツ記者会見

広島から福島まで、ヒバクシャを一堂に介した歴史的な会見です。

Nov 15, 2001 Foreign Correspondents' Club in Japan
No More Hibakusya! No More Nuke Power!

A Truly Historical Press Conference made by Hibakushas (radiation exposed people) from Hiroshima to Fukushima

スピーカー
肥田舜太郎、医師、広島被爆者
大石又七、核実験被曝者、元第五福竜丸船員
梅田隆亮、元原発労働者
佐藤幸子、子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク世話人
竹野内真理、フリーランスジャーナリスト、翻訳家
(スピーチと質疑応答は、日本語と英語通訳付き)
Speakers
Shuntaro Hida, Physician & Hiroshima A bomb Hibakusha
Matashichi Oishi, Hibakusha, Former Lucky Dragon Crew
Sachiko Sato, Representative, Fukushima Network for Saving Children
from Radiation
Mari Takenouchi, feelance journalist, translator
Ryusuke Umeda, Former Power Plant Worker


5人の発表者の内容
Presentation by 5 speakers




1.竹野内真理、ジャーナリスト、翻訳者  Email:  mariscontact@gmail.com

Mari Takenouchi,  Journalist, Translator  Email: mariscontact@gmail.com

99年に電源喪失事故のシナリオを米国人科学者から聞いてから、以来反原発の活動をしてきました。特に地震と原発の問題では、2002年にIAEAにも直訴に行きましたが、その時知り合いの上司であったIAEA職員が、「この問題はあまりに問題が大きすぎて、誰も手がつけられない。仮に日本で500万人が死んでもあきらめるしかない。原発を止める唯一つの道は国民全員が声を上げることだ」と言われました。その後もいろいろ活動しましたが、事故が実際に起きてしまい、無念で悲しくてなりません。

I became anti-nuclear when I heard a simulation of a station black out accident scenario from a US scientist in 1999.  To highlight the issue of nuclear power and earthquakes, I went to IAEA in 2002 to directly plea for halting nuclear power in Japan.  I remember a superior of my acquaintance in IAEA telling me, Ms. Takenouchi, this issue is too big for anyone to tackle.  5 million Japanese peoples deaths may not be able to be avoided.  The only way to avert such a situation is that every Japanese raise his/her voice to stop nuclear power. Since then, I have been trying to disseminate information about this issue, but in the end the accident still took place.  I feel so regretful and sad.

今日は私は以下の三つのことを言いたいです。

I would like to tell you three things today.

1.
     福島やその他の汚染地帯から人々を、特に子供たちを直ちに避難させてほしいです。二日前に福島をたずねましたが、そこで行われていた体制側の学者によるシンポジウムで、福島はもうほとんど安全であるという発言を聞いて驚きました。同時に彼らは子供たちの線量を測り、健康調査をしているのです。なぜ避難をさせてから健康調査を出来ないのでしょうか?福島の子供たちをモルモットにしようとしているのでしょうか?米国と日本の政府が、悲しいことに、広島や長崎の被爆者にたいしてやってきたことを思えば、その可能性は大いにあります。福島の子供たちをどうか研究材料にしないでください。私も1歳児の母親として切に訴えます。

People, especially children in Fukushima and other contaminated areas should be evacuated immediately.
 I visited Fukushima 2 days ago and I was speechless when I attended a symposium held by government-sided scholars.  They keep saying that Fukushima is almost safe.  Meanwhile, they are getting the data of childrens radiation dose and are conducting health check-ups.  Why cant they let these children evacuate first and conduct medical check-ups afterwards?  Are they trying to use Fukushima children as their guinea pigs?  Regretfully, this is probable considering what the US and Japanese scholars did to Hiroshima and Nagasaki hibakusyas.  Please do not use Fukushima children for studies.  As a mother of a one year old, I would like to make a strong appeal about this to the world.

2.
     
日本の基準値500ベクレルは高すぎます。この部屋のどこかにゴメリ医科大学の創設者で元学長であったユーリ・バンダジェフスキーの論文をご覧になった方はいらっしゃいますでしょうか?彼の研究によれば、セシウムが体内に20Bq/kgの濃度で取り込まれますと、心臓に異変が起きやすくなるというのです。そしてICRPpublication 1112009)にあるグラフによると、1日たった10ベクレル、大人はだいたい12kgの食物を摂取しますから、基準値のたった100分の1のレベルであっても、70kgの大人であっても心臓に異変が2年以内に起こる可能性を示唆しているのです。さらに30kgの子供の場合は、100日以内です。ベルラド放射能安全研究所副所長のウラジーミル・バベンコ 氏の、子供の食べ物はゼロベクレルにしなければならないという発言が決しておおげさなものでないことがわかるデータであると思います。同時に汚染がれきが全国に流通するのは防がなければなりません。特にそれが燃やされた時、沸点が641度と低いセシウムは大気中の微粒子となり、容易に人に吸い込まれ、深刻な内部被ばくを引き起こします。

2.
     The limit of 500 Bq/kg is way too high.  Has anybody in this room read the study conducted by Yuri Bandazhevsky, the founder and the former director of the Gomel Medical Institute?  According to his study, when the cesium is incorporated into the body at 20Bq/kg level, functional abnormality in the heart is likely to take place.  Also, according to a graph in ICRP publication 111 (2009), intake of 10 Bq/day cesium, only one 100th of the Japanese reference level  would likely lead to heart abnormality within 2 years! (Considering that an average adults eats nearly 2kg of foods daily, if they eat upper limit of 500Bq/kg food, daily intake is 500Bq/kg ×2kg=1000Bq/day.  10Bq/day =1/100 of 1000Bq/day) From this graph, we can tell that the statement saying childrens cesium food intake should be zero Bq by Dr. Uladimir Babenka, Deputy-Director of BELRAD Institute is not an exaggeration at all.  At the same time, contaminated debris should not be distributed all over Japan.  Especially if it is burned, cesium, with a very low boiling point of 641 degrees Celsius, will become fine particles in the air which can be easily inhaled by people, causing serious internal exposure.

3
.原発は稼働している場合ではないと思います。福島事故の後でも原発を日本で稼働させ、またさらに海外に輸出しようとしている日本政府の行動はまったく狂気の沙汰です。現在でも日本国中で地震は発生しており、近い将来第二の福島原発事故が起こる可能性はおおいにあります。さらに福島の4号炉は、稼働中でないにも関わらず、爆発しました。したがいまして、使用済み燃料プール周りの構造物は耐震設計を強化する必要があります。どうかこれら三つのことを行い、子供たちの命、将来の命そしてみなさんの命を守ってください。ありがとうございました。



Nuclear power plants are not supposed to be operating.  It is totally insane for  the Japanese government to continue the operation of nuclear power plants in Japan even after the Fukushima accident. It is even still trying to export nuclear plants to overseas.  There have been earthquakes quite frequently now all over Japan and there could be the 2nd Fukushima accident anywhere in Japan in the near future.  On top of that, Fukushima No 4 exploded even though it was not operating.  Hence, structures of and around spent fuel pools should be enhanced against coming earthquakes all over Japan. By doing these three things, please save childrens lives, lives of the future generations and lives of your own.  Thank you very much.





2.肥田舜太郎(広島原爆被爆医師)

 Dr. Shuntaro Hida, Hiroshima A-bomb survivor, Physician


19458月、私は広島陸軍病院に勤務していました。6日朝は6キロ離れた村に深夜往診をして幸い原爆の直爆死を免れました。

In August 1945, I was working as a doctor at Hiroshima Military Hospital. On the morning of the 6th, I happened to be 6km away from the hospital as there had been an emergency house-call on a child patient late at night and luckily, I was not killed by the direct hit of the A-bomb.


それから65年間、私は多くの被爆者を診療してきました。直爆を受けた人々の死は壮絶でした。火傷や外傷とともに、発熱、紫斑、目、鼻、口、陰部を含む体中からの出血の急性原爆病で死んでいったのです。

Ever since, I have been looking after thousands of hibakusyas for 65 years. I saw some of the horrendous deaths of those directly hit by the A-bomb. Besides terrible burns and wounds, they developed highfever, purple spots, and finally died from massive bleeding from their bodies including mouth, nose, eyes, and genitals etc.


しかし、医師である私にさらに強烈なショックをもたらしたのは、あとから入市した人々が似たような症状を呈して死んでいった姿でした。

But what was even more shocking to me was that people who came to Hiroshima afterwards also developed similar symptoms and died.


以来私は、生涯、不明の病気で苦しんだ、放射性物質を体内に取り込んだ内部被曝者を数多く診察しており、彼らこそを核の時代の最大の被害者だと感じてきました。

I have continued to see patients who have suffered unknown diseases throughout their lives due to the internal radiation exposure caused by the intake or inhalation of radioactive materials into their body. I believe they are the most prominent victims of this nuclear age.


ところがマッカーサー将軍が、原爆被害を米軍の軍事機密に指定し、被爆者には「喋るな、書き残すな」と命じ、医師、学者には被害の研究を禁止して、違反者は重罪に処すと宣言したため、占領下の7年間、被爆者は放置されたままにされました。

However, under occupation after the war, General MacArthur made hibakusyas a military secret and issued the official order not to talk and write about them. They also prohibited physicians and scholars to study hibakusyas and proclaimed that those who violated the order should be severely punished. Thus all hibakusyas were totally ignored for 7 following the war.


さらに、1949年に廣島と長崎に設立されたABCC(後の放射線影響協会)が、「内部被曝は放射線が微量で、人体には全く無害」と強力に宣伝したため、「だるさ」を訴える内部被曝者の慢性症状「ブラブラ病」は神経症状とされ、中には仮病とまで言われて、被爆者の苦しみをさらに広げました。

Moreover, the Atomic Bomb Casualties Commission (later known as the Radiation Effects Association) strongly disseminated the phrase,Internal exposure is harmless to the human body because the radiation

level is so low. So, hibakyusa suffering from so called A-bomb burabura disease (extreme and persistent chronicle sluggishness) were told neurosis or fake, which added more suffering to lives of the hibakusya.


私は原発労働者の中にも、ぶらぶら病の症状を呈した患者を診たことがあります。電力会社は今までたびたび放射能の放出を伴った原発事故の直後に「健康には影響がない」と発表してきました。医師でもない電力会社の責任者がなぜそのようなことが言えるのか。真面目に言っているとしたら茶番です。

I have also seen burabura disease patients among nuclear power plant workers. Electric companies have often announced that there was no damage to human health right after a nuclear accident. But how can a

person from an electricity company, who is not even a doctor, assume that there is no health damage immediately after the accident? To my eyes, these announcements are like lines from a self-produced stage

production.


今回の福島原発事故でも、労働者が三人が亡くなっていますが、電力会社は放射能との因果関係を否定しています。どのような根拠で否定できるのでしょうか。

After the Fukushima accident, three nuclear power plant workers have died and Tokyo Electric Company have denied any causality from radiation. How can they prove that there is no relationship with radiation?


実際私の元には、数百人の相談者が既に来ており、鼻血、下痢、発熱、甲状腺の腫れ、紫斑の出ている子どもも出ています。福島や東北地方はもちろん、東京を含む関東、遠くは山梨県や静岡県からの相談もあります。

In fact, hundreds of people consulted me after Fukushima accident, whose children are suffering nose bleeding, diarrhea, fever, swollen thyroid, purple spots not only from Fukushima and North Eastern Japan,

but also from Tokyo metropolitan area and as far as Yamanashi and Shizuoka.


子供さんに放射線被害の初期症状がでた福島や関東平野の母親は、これから、どう生きたらよいのか深刻に悩んでいます。放射線は自分の家族だけの安全を許しません。

What can mothers do when their children develop these symptoms? I am seriously worried myself as I don't know exactly what they can do. Nobody or no family can now be totally safe from radiation in Japan.


人類にとって唯一の生き延びる道は原爆、原発を全廃することだけです。ありがとうございました。

The only way for us all to survive is to abolish both nuclear weapons and nuclear power plants in the world. Thank you very much.
 
 
3.ビキニ水爆実験被爆者 元第五福竜丸乗組員 大石又七
Matashichi Oishi, former crew of the Lucky 5th Dragon, Hibakusya from Bikini nuclear test
 
福島原発大事故は今から五七年前に起きたビキニ事件の原点にさかのぼって考えなければ正しい答えは出てこないと思っています。誰がなぜ、危険な原発を地震大国である日本に導入したか、そこが一番重要なところだと思います。
 
I believe we cannot have a correct understanding of Fukushima nuclear accident unless we look back the Bikini Incident 57 years ago.  The most important point is, who and why a dangerous nuclear power plant was introduced to Japan, a most earthquake prone country.
 
1954年、私は元第五福竜丸という漁船の乗組員で、アメリカが広島に投下した原爆の約一〇〇〇倍という巨大な水爆実験に遭遇した被爆者です。その爆発で起きた『死の灰』を日本に持ち帰ったことから太平洋や大気圏が強力な放射能で汚染されていることが分かり大事件に発展していった、これがビキニ事件です。
 
When I was a crew member of Lucky 5th Dragon fishermen’s boat in 1954, I encountered a US Pacific thermonuclear test, approximately 1000 times as powerful as the Hiroshima A-bomb.  I became a Hibakusya.  By the fallout brought back to Japan, people came to realize that the Pacific Ocean and the atmosphere was strongly contaminated with radiation, which became a big news, later called as Bikini Incident.
 
後に残された資料からいろいろなことが分かってきました。一九四六年から一九五八年にかけてアメリカ軍だけでも、このビキニとエニウエトク環礁を使って六七回の大気圏核実験を行ない、合わせて一〇〇メガトンの核爆発を繰り返しました。この一〇〇メガトンの爆発は、なんと広島型原爆を毎日一個ずつ一八年間落とし続けた量というから驚きです。
 
  Various facts came to be revealed through archive materials.  From 1946 to 1958, the US military alone conducted 67 atmospheric nuclear testing at Bikini and Eniwetok Atolls, which was 100 megaton nuclear explosion in total.  Also, this 100 megaton explosion is equivalent to Hiroshima A-bomb dropped each single day for the duration of 18 years.  Isn’t this amazing?
 
水爆は巨大な爆発威力だけではありません。爆発と同時に恐ろしい放射能を撒き散らします。それらの放射能は半減期が何十年、何万年というもので人間の体内に入り込み、染色体を傷つけながら体の内側から攻撃するという内部被曝を起こしていました。染色体を傷つければ死産や奇形児の原因を作りだし、子孫へと繋がっていきます。
 
Thermonuclear bomb did not only give out enormous explosive power, but also scattered  deadly radioactive materials in the environment. The half lives of radioactive materials can range as long as dozens of years to even tens of thousands of years.  These materials can be absorbed into various parts of human bodies, harming the chromosomes and body tissues internally-this is called internal exposure.  This kind of damage can cause still birth, congenital defects, which could be transferred from generation to generation.
 
半減期の長い放射能が食物連鎖や風などに乗って地球上を漂い、誰のどこに取り付くかは現在の科学や医学では計り知ることは出来ません。これが見えない放射能の恐ろしいところです。貴方もすでに被爆者になっているかもしれません。
 
Even the modern science and medicine cannot detect where such long-lived radioactive material can travel in the winds and food chain, or who and which part of the body such materials can finally come down to.  This is the horror of radiation.  Maybe some of you might have become hibakusya already.
 
私は言いたいです、当時、核、放射能の恐ろしさをあれほど教え警告したのに日米政府は事件を握りつぶし隠しました。その結果どうなりましたか。核兵器も広島型原爆よりずっと威力を持つようになり、二万三〇〇〇発の核弾頭が実弾となって出来上がり、人類を脅かしています。
 
I want to say this.  In spite of citizens’ voices of concern against nukes and radiation in those days, the governments of the US and Japan smothered the incident and hid the facts.  What happened then?  Nuclear weapons become much more powerful than Hiroshima A-bomb and more than 20000 nuclear warheads are now threatening the entire humanity.
 
この重要な意味を持つビキニ事件を賠償もせず、わずかな見舞金、責任も核実験も容認してその見返りに水面下で原発を要求したのです。この人たちにこそ重大な責任があるのではないでしょうか。
 
The US government did not take any responsibility or compensate for the victims of this very important Bikini incident and instead, paid small amount of consolation money only.  Meanwhile, the Japanese government acknowledged the continuation of the nuclear testing and in return, demanded for nuclear power behind the scenes.  Don’t you think these people who made efforts to introduce nuclear power to Japan highly responsible?  I believe they are the responsible.
 
ビキニ事件は過去の終わった事件ではありません。あのときから始まった事件です。それなのに誰の口からもビキニ事件という言葉が出てきません。
 
Bikini Incident is not a past.  Contrary to it, that incident was the very start of the entire story. However, nobody talks about Bikini Incident any more.
 
当時アメリカは自由諸国にウランを提供し、軍事ブロックを築こうとしてCIAの職員を読売という大きなメディアを目標に打診してきました。これを知った読売新聞社主の正力松太郎氏は、日本中が核実験反対で燃え盛っている矛先を変え、原子力の平和利用といって自分の持つメディアをフルに使って、原発導入の宣伝を大々的に行ないます。
 
In those days, the US tried to build a military block by providing uranium to western world and approached Japan through CIA targeting at a major media company Yomiuri Shimbun.  The then Yomiuri president, Mr. Matsutaro Shoriki conducted an all-out promotion of peaceful use of nuclear power using his own media company to shift the raging anti-nuke sentiment.
 
 政界では中曽根康弘代議士が青年将校などと言われながら危険を伴う原発をアメリカの意向に沿って先頭に立ち、ビキニ事件の三日後に二億三千五〇〇万円の原子力予算を国会で通過させます。  原発を日本に導入した経緯を知れば今起こっている大事故の責任、賠償の方向性も見えてくるはずです。ご静聴ありがとうございました。
 
In the political arena, so-called young-military-officer politician Yasuhiro Nakasone, who became a Prime Minister of Japan later days, took a lead to pass the nuclear power budget of 235 million yen at the Diet, only three days after the Bilini Incident, in line with the US government intention.  If we realize the background of this history, we could see where the responsibility of the current nuclear catastrophe lies and how the compensation should be made in the future.  Thank you very much.
 

 4.梅田隆亮、元原発労働者

 Ryuusuke Umeda, former nuclear power plant worker

 
 私は1979年に島根原発と敦賀原発で働きました。炉心のすぐ近くで働き、被曝しました。
 I worked for Shimane and Turuga nuclear power plants.  I worked very close to the reactor core and got exposed to radiation.
 
 きちんとした安全教育はなく、「被曝」という意識すらありませんでした。
 In my case, there was no safety education, and workers were not even aware of the concept of “exposure to radiation” .
 
 線量計は配布されましたが、ビービー音が鳴って仕事にならず、放射線の低い所にいる人にあずけて作業しました。現場監督は見て見ぬふりでした。島根原発では普通の作業着で、マスクもつけずに作業しました。
 Though we received dosimeters, since the alarm went off so frequently and distracted our works, we left them to the workers in the lower radiation level areas, and our supervisor deliberately overlooked this.  In Shimane, workers just wore regular work clothes and did not wear masks.
 
 放射能の怖さは、時間がたってから現われます。私は鼻血と全身倦怠に悩まされました。「ぶらぶら病」と呼ばれ、働くのが困難になります。診断が難しいため、周囲の人から理解されず「怠け者」扱いされます。
 The scariest thing about radiation is that its impact on human health takes a long time to appear, so at first it seems safe. In my case, I suffered from nose bleeding and general malaise (so called Burabura disease).  Burabura Disease makes it very hard for people to work, but as it is difficult to diagnose, many people do not understand and regard such Burabura patients merely as lazy people.
 
 私は2000年に心筋梗塞を発症し、働けなくなりました。私のように労災申請する作業員は少なく、病気になっても泣き寝入りがほとんどです。
 In 2000, I also got myocardial infarction and was unable to work.  There are very few who apply for workers’ compensation and they are forced to bear the condition.
 
 かつては原発に対して「賛成」でも「反対」でもありませんでした。原発で働いて給料をもらったというためらいがあり、言いづらかったのです。
 In the past, I was neither “for” or “against” nuclear power.  I was hesitant to speak out seeing I received payment through working at nuclear plants.
 
 しかし、これ以上被曝者を出さないために、「原発反対」という考えに変わりました。福島原発事故が起き、多くの作業員が被曝しています。その多くは下請け労働者です。心筋梗塞で亡くなった方もおられると伺っています。原発はすべて廃炉にすべきだと思います。
 However, in order to prevent radiation exposure to more people, I became anti-nuclear.  Then the Fukushima accident took place and many workers, especially sub contractors have been exposed.  I heard there was one worker who died of myocardial infarction.  I believe all the nuclear power plants should be shut down.
 
 3つのことを提案します。
 Now, I want to raise three proposals.
 
 1  原発作業員の健康相談窓口をつくってほしい。これまで原発で働いて被曝した人は40万人以上と言われています。しかし、労災を申請した人はほんのわずかです。ですから、作業員の「いのちの電話」のような制度があったら良いと思います。
 1  A health consultation service should be established. There have been more than 400,000 nuclear power plant workers in total in Japan.   However, only very few people have applied for workers’ compensation.  It would be great if there was a so-called "life-line" or help-line for nuclear workers.
 
 2  安全教育や放射線管理が適切になされているか、できるかぎり第三者に見えるようにする。私の場合もそうですが、きちんとした安全教育をしていないのに、元請会社は適切におこなったと主張し、水掛け論になるのを防がねばなりません。
 
 2  Working conditions such as safety education and radiation control should be made as visible as possible to the third party.  Without adequate safety training, endless disputes will occur between workers and sub-contractors about whether safety education have been properly conducted or not - as was the case in my experience.  We need to avoid such situations.
 
 3  原発労災の対象疾患に、心筋梗塞を入れてほしい。原爆症では心筋梗塞が認定対象となっていますが、原発労災では対象になっていません。原爆も原発も本質的には同じなので、病気についても同じように認めるべきだと思います。また、内部被曝の影響を正しく評価することが大事だと思います。
 3  Myocardial infarction should be included in the symptoms subject to the nuclear workers’ compensation.  Myocardial infarction is included in the registered diseases of A-bomb victims, but not those of nuclear workers.  The radiation health problems caused by the A-bomb and nuclear power plant are basically the same.  It is also very important to evaluate the effects of internal exposure correctly.
 
 最後に、私の労災申請について申し上げます。112日に再審査請求「棄却」の裁決書が送られてきました。私は敦賀原発の現地調査を再三求めていたのですが、敦賀原発の現地調査を何もおこなわないまま、裁決が出されました。このことに強く抗議します。
 Lastly, let me report to you regarding my own application for workers’ compensation.  On November 2, I received a rejection letter to my re-examination request from the Ministry of Health, Labor and Welfare.  I
had repeatedly requested a site examination at Tsuruga nuclear reactor, but the decision was made without an inspection.  I strongly protest this.
 
 32年前に私が働いた敦賀原発1号機は、今回事故を起こした福島原発と同じタイプの原子炉です。当時から問題のある原子炉で、ボロボロの配管があちこちにありました。津波がなくても地震があれば、福島のような事故が起きてもおかしくありません。「なぜ敦賀原発の現地調査をしなかったのか」、きちんと説明してほしいです。ご静聴ありがとうございました。
 
 Tsuruga nuclear reactor 1, where I used to work is the same type of reactor as those at Fukushima.  It had many problems such as shabby pipes.  Even without a tsunami, if there is any major earthquake, an accident like Fukushima could occur at any moment.  Why didn’t they examine Tsuruga No. 1 reactor?  I would like to have a proper explanation from the government. Thank you very much.
          

 

5.福島の母親のスピーチ

Speech by a Mother in Fukushima



子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク世話人  佐藤幸子

Sachiko Sato, Representative, Fukushima Network for Saving Children from Radiation


私は、30年間自然に添った農業をしながら、子ども5人を育ててきました。チェルノブイリ事故後、石油や、食糧が輸入されなくなっても原発が止まっても、生きられるようにと、昔からの知恵や技を自分が受け継ぎ次の世代へと繋ぐ生き方をしてきました。その生活を、学びたいという人々が全国から集まり小さな共同体が出来ていました。

For the past 30 years, I have been practicing natural style of farming while rearing my 5 children.  After Chernobyl accident, I changed my life style using old day practices and wisdom handed down from generation to generation so that we could survive without oil, nuclear power, and imported foods. People who wanted to learn such kind of living gathered around me from all over Japan, so we were living in a sort of small community.

今回の原発事故が、それらの全てを奪いました。大切にしてきた農地は、空から降り注いだ放射能のせいで、これまで無農薬で作ってきた安全な野菜を、今年は作ることが出来なくなりました。農民としてこれ程悲しいことはありません。

Then, the Fukushima accident took away everything from us.  This year, we cannot grow safe organic vegetables from our agricultural land which was taken great care of without any chemical. As a farmer, there is nothing that can make me more sad.

311日を境に、全ての福島県民の生活は一変してしまいました。地震、津波、原発事故三重苦のなか、それでも生きていかなければならない苦しさ。

After March 11, lives of all the people in Fukushima was changed.  We had to manage to survive in the midst of the triple disasters-earthquake, Tsunami, and nuclear accident.

とりわけ、原発による被害は目に見えないだけに、それを受け入れることができない苦しさがあります。去年と何も変わっていない美しい風景の中に確実に存在する放射能は、そこに住むことができないと判断した人と、そこに住み続けようと判断した人の間に、大きな溝を作ってしまいました。

Particularly, we suffered from nuclear disaster. Since the radiation is invisible, it is very difficult for us to accept the fact.  The radiation that exists for sure in the beautiful scenery that has not changed a bit from last year put a tremendous gap between people who decided not to continue living that area and people who decided to continue living that area.

本来なら、同じ被害者であるはずの家族が、地域の人々が、思いを共有できないという悲しい現象、心がバラバラになることによって引き起こされた精神的被害、これが「直ちに出た健康被害」です。

The families and neighbors who are supposed to share their sufferings cannot share their feelings. Fukushima peoples mental damage caused by this disintegration of peoples minds can be called as immediate health effects. (After the accident, the government of Japan repeatedly said, There will be no immediate health damage.)

そして、今後ジワジワと出てくる低線量被曝による被害は、確率が低いからと何の手だてもしない。それどころか、これまで、100ミリシーベルト以下のデータが十分にないと言い、そのデータを集めるため福島県民200万人をモルモットにしようとしているのです。

The government does not take any action for the upcoming health damage caused by low level radiation saying that the probability of health damage is low enough.  On the contrary, the government is trying to use 2 million Fukushima people as guinea pigs to collect data, saying that there is not enough data for radiation exposure below 100 milisieverts.

見えないはずの放射能で汚染された福島が、私には戦場に見えます。それはまさに、愚かにも人間が自然を征服出来るかのごとく振る舞ってきた人類と、自然を大切にしたいと考えている人類との戦いの場です。自然豊かな福島「うつくしま福島」だからこそ、見た目には何も変わらない、「美しい戦場」となりました。

To my eyes, the scenery of radiation contaminated Fukushima is just like a battle field, even though I cannot see the radiation itself.  It is a battlefield between people who foolishly behaved as if they could conquer the nature and people who have cherished the nature.  Since Fukushima is beautiful in nature, it does not look different at all. In sight, it is a beautiful battle field.

放射能と、国家権力で子どもの未来を奪ってしまう戦場です。戦場に子どもは居てはいけないのです。戦場の炎の中にいる子どもたちを置き去りにしてはいけないのです。

But it is a battlefield to take away the future of children by the state power. There should not be any children in the battlefield.  We should not leave any child in a battlefield with fire.

これまでの、経済優先の考えでは、子どもたちを救えないのです。子どもたちを救うあらゆる手だてを今すぐ行わなければならないと思います。

We cannot save our children with the economy first ideology.  We immediately need to take every measure to rescue children now.

原発事故の恐ろしさは日本中、世界中が感じたはずです。それでも尚、原発を止めないばかりか、原発を輸出すると言うこの国は、一体何を考えているのでしょうか。

People in Japan and in the world should have felt the horror of nuclear accident.  What kind of nerve does this country have not only continuing nuclear power generation domestically but also trying to export more nuclear power to overseas?

今後、何世代先にも及ぶ影響が出ると言うことをどう考えているのでしょうか。8ヶ月も炎の中に放って置いた政府に期待はできません。

I wonder what the government is thinking in regard to the health effects that can continue for generations to come.  In any case, we cannot expect much from the government who left children in the fires of battlefields as long as 8 months.

子どもの命を守るのは、政府でないことがはっきりしました。このままでは、「未来の子どもたちの命より、目先の経済のほうが大切だと21世紀の大人たちは判断しました」と、将来にわたり人類が滅びるまで、伝え続けて行かなければならないことになるのです。

Now we know that it is not our government who can protect our children. With this trend continuing, we the adults in the 21st century will have to be told that we made the judgment with our priority on the short-sighted economy rather than childrens lives in the future. We will be told like this until human race would eventually be extinguished.

子どもの命を守れるのは、国民です。何が正しくてどうすることが命を守ることになるのか、心の目を見開き一人一人が自分で判断して行動する必要があります。

It is people who can save childrens lives.  Each single person needs to open his or her eyes of mind and make a judgment to see what is correct and what should be done to save lives.

「子どもの命を守る」たったこの一つの願いを叶えるために、福島の親たちは立ち上がりました。全国の人々が福島の子どもたちを守るためにつながりました。あらゆる人々がつながり活動を進めなければならないですし、生き方をも変えなければならないほどの重要な決断をしなければならない時がきたのです。

Mothers and fathers in Fukushima stood up to make a single wish come true. That is to save lives of children. People from all over the nation got connected to protect lives of children in Fukushima.  Now the time has come for everybody to get connected and make actions and to alter their life styles, the moment for all of us to make a very important decision.

もし、これで原発が止まらなかったら、人類は滅亡への道を進むことになるでしょう。 福島から発信された原発事故の恐ろしさが、世界中の人々に伝わり、全ての原発を止めることができるまで、活動を続けなければなりません。福島の子どもたちのような悲しみを、もう二度と起こしてはいけません。ご静聴ありがとうございました。

If the nuclear power does not stop even after this Fukushima accident, humankind would surely tread the path to destruction.  The horror of nuclear accident coming from Fukushima should be disseminated to the people all over the world. We need to continue our actions until all the nuclear power plants in the world are stopped. We should never cause any more sorrow Fukushima children had to any other children on our planet. Thank you very much.