本を買うには以下のURLを使ってください! Please buy my book at ↓
https://www.amazon.co.jp/dp/4991176115?ref=myi_title_dp
ただし、今でもAmazon.comに私の単行本は載りません!電子書籍だけ!!!
私の英語と中国語に訳した本を市場に出回らないようにされている!?
https://www.amazon.com/dp/B09B961RZD/ref=sr_1_1?dchild=1&keywords=Mari+Takenouchi&qid=1627354727&sr=8-1
本当に不思議なことの連続だったこの5か月。。。
電子書籍は7月の終わりに掲載できたのですが、単行本がまったくできないでいたのです。
しかも私はアマゾンさんで本を買うのが好きだったので、非常に良い顧客だったのですが、ログインさえもできなくなっていたことが多く。。。
大変な思いをした5か月間でした。
ネット上だけではありません。
私が「もんじゅ西村事件」の他殺事件についてきちんと書いた唯一のジャーナリストということで、今年の春くらい(3.11の10周年が過ぎたくらい)から近づいて来た往来の自民党をカバーしてきたジャーナリストという方が、「自分は政治専門で、原発の事は社会部の領域で3・11後の福島の事も全く知らなかったから(これってびっくりしました)」と、いろいろ質問されてきました。
もんじゅ西村事件その他原子力関連事件→
https://takenouchimari.blogspot.com/2013/04/blog-post_1741.html
質問には快くここ数か月答えていたのですが、今から考えてみると、なぜか私の本に関しては、読む前から広げようとしない、という 不思議なことが。。。彼の質問にお答えしたのは、そもそも今回の本に書いてある情報も多かったのに、です。
口頭で伝えた時には、いちいち「知らなかった」「すごい情報」と褒めて頂き、ブログにも多くの情報を引用して頂いていたのですが、本については読む前から「売れない本を書いておいて・・・」と批判めいたことを言われ、なぜか積極的に読もうともされず。。出版直後の2021年夏(広島長崎の日の前に無理して出版した本なのです)、関東の実家に帰ったときに、同じ千葉県民ということで、近くまで手渡しに行きましょう、と提案しても、コロナを理由に受け取りを拒否!コロナを政府と同じくらい異様に恐れ、政府と同じようにロックダウンを推奨!ご自身はワクチンは危険として打たないのに、なぜかご家族も含め、周りにはあまり広げていない模様。
私がツイッターやブログなどでワクチンの危険性を訴えると、「危険性は証明されていない!」と猛反発。私は今mRNAワクチンの問題は、原発と同じくらい大事だと思っています。人体に直接、重要臓器まで届く安全性の確立していない危険物質を打ち込もうというのですから!しかも子ども達にまで!私は絶対反対です。
それを言うと(なぜか反原発についてはタイミングを外して10周年を過ぎてからようやく騒ぎだしてくれた)この政治ジャーナリストは、反発するのです。ワクチン接種の危険性を世の中に出すタイミングを遅らせようとしているのでしょうか?
(ちなみに彼ご自身はワクチンを打っていないのに!!!国会議員も誰も反対しない!山本太郎氏もご自身は打っていないのに、国民に危険性を発信していません!私は政治にかかわる人々で信用できる人が誰一人いなくなってしまいました!!)
巻頭に、なんとかmRNAワクチン接種の危険性も海外の専門家の引用も含めて載せれた私の本。アマゾン掲載ができず、私が意を決して自分のメールを公開し(なぜか当初、彼は、私が本を売るためにメールを公開することも反対していました。)、他の人々が買って読んでくれた後に、彼にも購入して頂きましたが、私の本を読んでからも「今のところ、君の本で読むべきところは、君ではない別の人の書いた長崎原爆の被害にあった幼子の話引用くらいだった」と手厳しい批判が。。。
この往年の政治ジャーナリストの存在は、本当に私にとって不思議でした。自民党を良くカバーされていたそうで、自民党の政治家の本も何冊も出している方です。
うちの12歳の息子も正直、このジャーナリストの方についてはよくわからないでいます。
でも、今は、Y.S.さんという良心的な方のおかげで、とても良い書評が残っており、こちらの書評は、クリスマスのあいさつメールと共に、ウクライナ在住のユーリ・バンダジェフスキー博士にもシェアさせて頂きました!
Y.S.さん、本当にありがとうございました!
Reviewed in Japan on December 25, 2021I received the following video and speech script from Dr. Bandazhevsky!
バンダジェフスキー博士から以下の動画とスクリプトを頂きました!!
December 10, 2021 in Paris
Professor Yuri Bandazhevsky's Speech on
International Human Rights Day
パリ発 ユーリバンダジェフスキー教授
世界人権の日にて 2021年12月10日
Dear Madam Mayor, dear friends,
親愛なる市長、親愛なる友人の皆様
I would like to express my sincere gratitude to you for inviting me to participate in events dedicated to International Human Rights Day in Paris on December 10.
From this high tribune, I would like to draw the attention of the world community to people who have turned out to be victims of radiation exposure as a result of the Chernobyl Nuclear Power Plant accident.
12月10日にパリで開催される「国際人権デー」のイベントにお招きいただき、心より感謝申し上げます。チェルノブイリ原子力発電所事故による放射線被曝の犠牲者となった人々に、国際社会の関心を向けさせていただきたいと思います。
There are a lot of these people, much more than statistically registered. Many of them do not even know that their life problems, health problems are associated with radiation exposure. In many cases, their rights to protect their health are grossly violated. In the Republic of Belarus, the authorities refuse to recognize in full the real problem of a humanitarian catastrophe, and impede the conduct of objective scientific research.
これらの人々は、統計的に登録されている数よりもはるかに多く存在します。多くの人々は、自分たちの生活上の問題や健康上の問題が放射線被曝と関連していることさえ知りません。多くの場合、自分の健康を守る権利が著しく侵害されています。ベラルーシ共和国では、当局が人道的大惨事という真の問題を完全に認識することを拒み、客観的な科学調査の実施を妨げています。
For over 30 years, I have been studying these consequences; at the beginning it was in my home country - the Republic of Belarus, and then in Ukraine. Back in 1990, at the invitation of the Government of Belarus, I came to the city of Gomel, the capital of the radiation areas, to found and organize Gomel State Medical Institute (now a University). Its establishment arose from the need for medical personnel in areas of the Republic of Belarus most affected by the Chernobyl nuclear power plant accident, as well as the necessity for scientific research to study the medical consequences of the Chernobyl catastrophe and ways to overcome them.
私は30年以上にわたり、原発事故の影響を研究してきました。当初は私の母国であるベラルーシ共和国で、その後はウクライナで研究を行いました。1990年、私はベラルーシ政府の招待を受けて、放射線地帯の首都であるゴメル市に赴き、ゴメル国立医学研究所(現在は大学)を設立・運営しました。この研究所の設立は、チェルノブイリ原子力発電所事故の影響を最も受けたベラルーシ共和国の地域で医療従事者を必要としていたこと、また、チェルノブイリの大惨事がもたらした医学的影響とその克服方法を研究するための科学的研究が必要であったからでした。
I was in charge of this higher medical institution from the moment it was opened on November 1, 1990, until the time of my arrest on July 13, 1999.
Together with my colleagues and students, we created, in a short period of time, a fully equipped center for the training of qualified medical personnel, carried out a number of very important scientific studies that allowed us to draw a conclusion about the negative impact of radiation agents of Chernobyl origin on human health. In our work, we paid the greatest attention to children living in the affected areas.
私は、1990年11月1日にこの高等医療機関が開設されてから、1999年7月13日に逮捕されるまで、この機関の責任者を務めました。同僚や学生たちと協力して、資格を持った医療従事者を養成するための設備の整ったセンターを短期間で設立し、チェルノブイリ由来の放射線物質が人間の健康に及ぼす悪影響について結論を出すことができる非常に重要な科学的研究をいくつも実施しました。私たちは、被災地に住む子どもたちに最も注意を払いました。
It was they who were found to have serious pathological changes on the part of vital organs associated with radiation exposure.
子ども達には、放射線被曝に伴う重要な臓器の深刻な病理学的変化が見られました。
I could not remain silent, and in 1993 I officially turned to the Belarusian Government with information about a serious humanitarian disaster affecting not only the liquidators of the accident, but also the population living in areas contaminated with radioactive agents as a result of the Chernobyl Nuclear Power Plant accident.
I asked you to pay attention to the fact that people in the Chernobyl regions suffer from constant radiation exposure, I demanded that protective measures be taken and that these people should be provided with the necessary social and medical assistance.
私は黙っているわけにはいかず、1993年にベラルーシ政府に公式に、事故処理担当者だけでなく、チェルノブイリ原子力発電所の事故で放射性物質に汚染された地域に住む人々が深刻な人道的災害に見舞われているという情報を伝えました。私は、チェルノブイリの地域に住む人々が常に放射線被曝に苦しんでいるという事実に注意を払い、保護措置を講じ、これらの人々に必要な社会的・医療的支援を提供するよう要求しました。
We began to inform the society of Belarus and the international community about this at scientific conferences, through the media, publication of scientific papers, video messages.
私たちは、科学会議やメディア、科学論文の発表、ビデオメッセージなどを通じて、ベラルーシの社会や国際社会にこのことを伝え始めました。
In 1999, a documentary film "The Chernobyl Heart" was made. The film reflects the scientific activities of Gomel Medical Institute with regard to the study of medical consequences of the accident at the Chernobyl Nuclear Power Plant.
1999年には、ドキュメンタリー映画「The Chernobyl Heart」が制作されました。この映画は、チェルノブイリ原子力発電所の事故による医学的影響の研究に関するゴメリ医学研究所の科学的活動を反映したものです。
Belarusian state functionaries tried to silence me and threatened. On July 13, 1999, I was unexpectedly arrested.
As I learned, the reason for this was a letter to the security agencies of Belarus, in which I was accused of organizing a putsch in Belarus. When this slander was not confirmed, the Belarusian authorities began to accuse me of corruption, using techniques of intimidation of imaginary witnesses. The Military Collegium of the Supreme Court of the Republic of Belarus sentenced me to 8 years in prison in 2001. While I was there, I continued my scientific analysis of the results of previous research. Some elements of this work are reflected in a book "Philosophy of My Life, Prison Diary", which was published in France in 2006.
Dear friends, it is a great honor for me to be awarded the title of Honorary Citizen of Paris, which I received while I was in prison.
ベラルーシの国家公務員は私を黙らせようとし、脅迫しました。1999年7月13日、私は突然逮捕されました。私が知ったところでは、その理由はベラルーシの治安機関に宛てた手紙で、私はベラルーシで国家転覆を組織した、と非難されていました。このような偽りの中傷は確認されなかったため、ベラルーシ当局は、架空の証人を使った脅迫の手法を使って、私の汚職を告発し始めました。2001年、ベラルーシ共和国最高裁判所の軍事委員会は、私に8年の懲役を言い渡しました。その間、私はこれまでの研究結果を科学的に分析する作業を続けました。この作業の一部は、2006年にフランスで出版された「Philosophy of My Life, Prison Diary」という本に反映されています。
親愛なる皆さん、私が獄中で得たパリの名誉市民の称号を授与されることは、私にとって大変な名誉です。
Thanks to the support given to me by the Parisians, Paris's city administration, the governments and non-governmental organizations of France and many countries of the world, I managed to survive in prison conditions and continue my scientific and humanitarian activities in the areas suffering from the consequences of the Chernobyl Nuclear Power Plant accident.
私は、パリ市民、パリ市当局、フランスや世界各国の政府や非政府組織からの支援のおかげで、刑務所の中でも生き延びることができ、チェルノブイリ原子力発電所事故の影響を受けている地域で科学的・人道的な活動を続けることができました。
Unfortunately, I cannot live and work directly in Belarus, which the Belarusian authorities forced me to leave in 2006.
While in exile, outside the Republic of Belarus, I continue my work to protect the health and life of people - victims of the Chernobyl disaster. Together with my colleagues and associates, we established in Ukraine in 2009 a Coordination Analytical Center "Ecology and Health", the purpose of which is to provide legal and medical assistance to the population of Ukraine and Belarus suffering from the consequences of the accident at the Chernobyl Nuclear Power Plant, as well as to analyze the impact of these consequences on the ecological and demographic situation.
残念ながら、私は2006年にベラルーシ当局に強制的に退去させられたベラルーシで直接生活し、仕事をすることは今もできません。
ベラルーシ共和国を離れて亡命している間も、私はチェルノブイリ原発事故の被害者である人々の健康と命を守るために活動を続けています。その目的は、チェルノブイリ原子力発電所の事故の影響に苦しんでいるウクライナとベラルーシの人々に法的・医療的支援を提供すること、また、これらの事故が生態学的・人口学的状況に与える影響を分析することにあります。
This organization initiated a number of large social and medical projects of the European Union and France, aimed at protecting the health and life of people living near the Chernobyl Exclusion Zone. Scientific analysis of the results of these projects shows there are serious health problems in children and adults 35 years after the Chernobyl tragedy, that lead to disability and lethal outcomes. It points to distant adverse consequences of this humanitarian catastrophe. These people are victims of radiation exposure, they need the social and medical assistance, protection of their rights to health and freedom to talk about it. I call on the international community to provide them with this assistance.
この団体は、チェルノブイリ立入禁止区域周辺に住む人々の健康と生活を守ることを目的とした、欧州連合とフランスの大規模な社会的・医療的プロジェクトを数多く開始しました。これらのプロジェクトの結果を科学的に分析すると、チェルノブイリの悲劇から35年後の子供や大人には、障害や致死的な結果につながる深刻な健康問題があることがわかります。これは、この人道的大惨事の遠因となる結果を示しています。これらの人々は放射線被曝の犠牲者であり、社会的・医療的支援、健康に関する権利の保護、そしてそれについて話す自由を必要としています。私は、国際社会がこのような支援を提供することを求めます。
I would like to note that radioactive agents of Chernobyl origin and not only (as an example, Fukushima) are currently spreading with air currents, water, food of animal and vegetable origin, wood over great distances from the accident site. In this regard, the victims of a nuclear disaster can be not only residents of the officially recognized affected areas, but also people who are not even aware of the radiation hazard that threatens their health and life.
チェルノブイリ由来の放射性物質は、現在、事故現場から遠く離れた場所で、気流、水、動物や植物由来の食物、木材とともに拡散していることを指摘しておきたい。この意味で、原子力災害の犠牲者は、公式に認められた被災地の住民だけではなく、自分の健康や生命を脅かす放射線の危険性を認識していない人々も含まれる可能性があります。
We must do our best to preserve life on Earth.
Thank you very much for your attention and support. Yury Bandazhevsky
私たちは、地球上の生命を守るために最善を尽くさなければなりません。
皆様のご注目とご支援をお願いいたします。
ユーリー・バンダジェフスキー