Other blogs その他のブログ

Email: mariscontact@gmail.com  Twitter: @SaveKidsJapan2 (new one but very few followers!) @mariscontact (used to be popular, but I cannot log in anymore!)
Mari Takenouchi Files 竹野内真理ファイルhttp://takenouchimari.blogspot.jp/
真理の公開質問Mari Takenouchi's open questions http://koukaishitsumon.blogspot.jp
Videos of Dr. Bandazhevsky and I
バンダジェフスキー博士と真理の動画https://maritakenouchiyoutube.blogspot.com/
Shady people http://fukushimaworkerslist.blogspot.jp/ Mari's essay http://takenouchimariessay.blogspot.jp/
Dr. Bandazhevsky's research paper (English and Japanese) https://bandazhevskypaper.blogspot.com/

2020年7月31日金曜日

同意なく被ばくデータ使用の論文2本を撤回 早野東大名誉教授ら


2020年8月1日竹野内追記

私は、今回の最も大きな倫理的問題は、福島の人々に、被ばくによる健康被害がないと強弁してETHOSプログラムを推し進めた早野教授の姿勢だと思っています。早野教授が2014年3月フランスでも参加したETHOSプログラムhttps://fukushimaworkerslist.blogspot.com/2020/06/311irsn.html

 被験者の同意がないままという医学論理に反したというのは問題ですが、それもさることながら、最も大きな問題は、子供や妊婦、赤ん坊を含めた福島県民を汚染地帯にその他のの学者とともに結託して住まわせ続けたETHOSプログラムの推進が、今回の問題の本質だと思うのです!!!

私も早野教授とはツイッター上で議論したことがあります。https://togetter.com/li/634989したこともあります。バンダジェフスキー教授のチェルノブイリではわずか10Bq/kgで心臓の異常が見られたことや、小児では大人の2,3倍も体内セシウム濃度が高まるという点について質問しましたが、ついぞお答えはもらえず。(ついでに早野教授はご自身の論文において割り算のケアレスミスもしていらっしゃいました。。。今回の論文も被ばくの数値を過小評価されているらしい。。。)

教授のホールボディーカウンターの論文についても東大のチームに当時から竹野内真理の公開質問で、質問させてもらっているのでご覧ください。https://koukaishitsumon.blogspot.com/2013/01/blog-post_30.html(お答えはいまだもらえず) *************
2020年7月31日 12時40分 東京新聞より
 東京大大学院の早野龍五名誉教授(物理学)らが、東京電力福島第一原発事故後に集められた福島県伊達市民の個人被ばく線量データを、同意がないまま分析した論文2本について、掲載した英学術誌が28日付で撤回したことが分かった。学術誌はホームページに「倫理的に不適切なデータが使われたことを確認した。著者も撤回に同意し、全ての調査に従った」と理由を公表した。早野氏は31日、「共著者としては、論文の撤回について大変残念に思っております」とメールでコメントした。 (三輪喜人)
2016年に英学術誌に掲載された早野龍五氏と宮崎真氏による共著論文。7月28日付けで撤回が公表された
 論文は、早野氏と福島県立医大健康増進センターの宮崎真副センター長が、伊達市の提供した住民約5万8000人の被ばく線量データを基に、生涯の被ばく線量を予測。2016、17年の2回に分けて、放射線防護に関する英学術誌「ジャーナル・オブ・レディオロジカル・プロテクション」に掲載された。
 約2万7000人分は研究で使うための同意を得ていなかったことが、18年9月に判明。伊達市の第三者委員会は今年3月に「個人情報の管理が不適切だった」と報告をまとめた。早野氏らはデータは分析後、全て廃棄したとしている。
 この問題を巡っては、伊達市民や物理学者らが東大と福島県立医大に対し、国が定めた研究倫理指針に違反していると調査を要求。両大の調査委は昨年7月、「倫理指針に対する重大な不適合はなかった」と結論付けた。 

◆福島県立医大の共著者 博士号取り消し

 福島県立医大は31日、宮崎氏の博士号の学位取消しを15日に承認したことを明らかにした。博士号は撤回された論文の一つにより取得されたため、本人から学位取り消しの依頼があったという。また同大がメールで回答した宮崎氏のコメントは以下の通り。
「私としては、研究者として委託された内容を完遂すること、すなわちデータの再提供を受け論文の修正もしくは再投稿を行うことが責務と考えておりましたが、論文の撤回と研究委託の中止かつデータ再提供が不可能という状況に至りました。責務を果たせず論文の撤回となったこと、また今後本研究に関わることがこれ以上能わなくなったことを、極めて遺憾に思っております」

2020年7月23日木曜日

デンマークで97年に放送されたチェルノブイリ原発事故地震説(真実だと思う)の書き起こし

(転載記事)デンマーク国営放送の番組は、このページの真ん中くらいに3つの動画が入っています!

チェルノブイリ原発事故の直接原因は地震だった!

2010年05月03日 | 3.11以前の核惨事
Twitter:perspectiveさんのつぶやきより
書き起こし版【ドキュメンタリー『チェルノブイリ原発 隠されていた事実』】 1986年のチェルノブイリ原発事故は地震によるものだった。デンマークで1997年に制作されたドキュメンタリー番組の書き起こし。 http://tl.gd/120a0o 

この映像は、4月26日のエントリに「削除されていた」と書いたものと同じなので、早速転載させていただく。

namonakisijinnさんのYouTube 2009年02月23日
― チェルノブイリ原発事故の直接原因は地震であった。
チェルノブイリ原発 隠されていた事実1/3


【以下perspectiveさんの書き起こし】
本放送:1997年8月15日放送(NHK)
制作:ミルトン・メディア、デンマーク放送協会(デンマーク1997年)

 1992年、ウクライナ政府は石棺が崩壊する危機をかわす解決策を求め、国際コンペティションを行った。その中で仏英独専門家で構成された合同チームは、新たに石棺を作り、元の石棺を密閉することを提案した。合同チームは広範囲に渡る様々な資料を基にして報告書を作成した。報告書によれば原子炉内部には、10万立方メートルの放射性物質があり、そのうちの4万立方メートル分は放射能レベルの非常に高いものとされている。もしそれが本当なら、石棺はあふれるほどの放射性物質で満たされていることになる。そのような状況下では、完全防備をしていなければ、とても石棺の中へ入れるものではない。

核物理学者K・チェチェロフ:「チェルノブイリ原発に関して一般に知られている情報で、現実とそぐわないものはたくさんあります。チェルノブイリの現役の職員はもちろん真実をを知っているでしょう。でも心の中で笑って、表面的には押し黙っているしかないのです。」

 長年に渡って分析を重ねた結果、合同チームの専門家たちは、次のような結論を出した。「石棺は地震などの天災で倒壊する危険がある。Bブロックは基礎の安定性に問題があり、地震で倒壊する危険がある。第二のシェルターの建設は急務である」。

 問題は新しい石棺を建設する莫大な費用をどこで調達するかである。チェチェロフは、新しい石棺を作るより、今の石棺を壊して中の原子炉を取り除いた方が経済的かつ効率的だと考える。「余った費用で稼働中の原子炉を永久に封鎖させるべきだ。なぜなら、チェルノブイリ周辺では、地震発生の危険性が高いから」。チェチェロフはそう言う。

地球物理学者(ウクライナ)V・オメルチェンコ:「私たちはヨーロッパの合同チームに協力し、地震に関するデータや報告書を、全て合同チームに提出しました。チェルノブイリ原発は、テテロフ断層とプリピャチ断層という二つの大きな断層の接点にあります。そこはウクライナ楯状地と、プリピャチ川が交わる場所です。」

 断層は地殻の中の亀裂である。地震の多くは断層の所で発生する。亀裂に蓄積されていたエネルギーが突然放出され、断層がずれ動く。その時の振動が地震波となって、震源からあらゆる方向に伝わっていくのだ。

核物理学者K・チェチェロフ:「あの事故が起こるはるか前から、当局は、原子力発電所等を断層の上に建設することに対して何の注意も払ってきませんでした。そのような危険な設備に対しての立地の基準も、建設の基準も、全く定めていないんです。ですから、設計士たちが従わなければならない基準は何もありません。断層からどれくらい離れていなければならないかなど、誰も考慮していないというわけです」

 危険地域に建設されている原子力発電所はチェルノブイリだけではない。チェルノブイリと同型の原発を建設する際に考慮されたのは、軍事・戦略的な要素だけで、地質学的な要素は無視された。
 リトアニアのイグナリナ原発も例外ではない。チェルノブイリの事故の後、ロシアとリトアニアの専門家たちは、イグナリナ原発の地質を分析した。調査をまとめた1989年の報告書によれば、イグナリナ原発は事故の危険にさらされている。しかし、当局は地質学者たちの警告を無視している。

地震学者(リトアニア)P・スベイスディズ:「私たちは何年にも渡ってイグナリナの地質を調査してきました。いくつかの調査の結果をまとめてみると、イグナリナには地殻に断層が無数にあることが分かりました。そうした断層の深さは10m~数百mと実に様々でした。断層が動くと地震が起きます。イグナリナ原発のような大きな施設に影響を及ぼす可能性があるのです。実際、イグナリナのすぐ近くを震源とする震度4ほどの地震が1908年に起きているのです。イグナリナの建設地が地殻変動が非常に活発な3つの断層の合流点にあるということは、地震が起きやすいことを意味しています。」

核物理学者K・チェチェロフ:「チェルノブイリ原発で事故が起きたとき、当然ながらその晩発電所にいた人はみんな事故に巻き込まれました。制御室にいた人であれ、タービン室にいたひとであれ、全ての人が事故の発端に気づいたと言っています。どの人も、事故が低い地響きのような連続音で始まった、と回想しているのが実に興味深い点です。低い連続音の後に、床が揺れ、壁が揺れ、そして天井から破片が降ってきたと言っています。みんな口を揃えてそう語っているのです。それから地面が動いたと。はっきりとあれは地震だったと言っている人さえいるのです。」

 1990年にウクライナで制作された報告書には、あの晩作業していた20人の証言が記録されている。それによると、原子炉の緊急停止前に振動が始まった。興味深い証言を含む報告書の重要性は、なぜか全く認識されていない。

「雷のような音がして、天井からタイルが落ちてきました。」「床が波打ち、電気が消え、非常灯がつきました。その30秒後、耳をつんざく音がしたのです。」「7号基の近くで屋根が抜け落ち、突然機械室の電気が消えました。」(報告書に記載された作業員の証言より)

核物理学者K・チェチェロフ:「地震を体験したことがない人なら分からないでしょう。しかしこの場合は、地震動が床を揺さぶっています。その振動の後に激しい揺れと衝撃が走り、電気が消えています。電気が再び点いた時、原子炉の停止が決定されました。これが重要なポイントです。最初に激しい揺れと強い衝撃が走り、その後で原子炉の停止が起こったのです。」(2/2に続く)

チェルノブイリ原発 隠されていた事実2/3

【以下perspectiveさんの書き起こし】
「辺り一面に粉塵が舞い、電気が消えました。電気が再び点いたとき、屋根を突き抜ける光を見ました。」「壁、天井、そして足下の床が揺れました。二度目の爆発は小さなものでした。射し込んで来る光を通して破壊の様子が見えました。光は様々な色が混ざり合ったもので、地上100mの高さまで上昇しました。」(報告書に記載された作業員の証言より)

 作業員の証言とチェチェロフの調査結果は、ソビエトが11年前に発表したものとは別の原因があることを示している。

核物理学者K・チェチェロフ:「1986年当時では予想もつかなかった驚くべき事実が分かりました。当初原子炉を取り囲んでいる水タンクは、事故によってすっかり破壊されたものと思われていました。しかし、そのタンクはほとんど被害を受けていません。かすかな損傷があっただけでした。原子炉の内部では、塗料はほとんどそのまま残っていました。原子炉の中はメチャクチャになっていると思われていましたが、実際には四分の一ほどしか被害を受けていなかったのです。原子炉の黒鉛性のブロックは熱で溶けたか燃焼したかして損傷を受けています。詳しく調べてみると、まるで酸素溶接のトーチを使ったかのようです。非常に高温の火災が起きたような印象を受けるのです。パイプの束は燃えた箇所で完全に焼き切れています。ところが、そこからあまり離れていない場所の塗料は何ともないんです。もし事故が非常に高温で起きたものであって、局所的なものでなかったとすると、塗料は残るはずがありません。こうした情報がたくさん記録され、写真やビデオカメラにも収められているというのに、公式の説明には何も盛り込まれていないんです。」

 ウクライナが報告書を発表した後、地球物理学者のチャタエフは、チェルノブイリ原発の事故原因を地震に結びつけた論文を発表しようとした。チャタエフは重要な証拠を握っていると主張していたが、命の危険を感じ、それを公開することはできなかった。そして1995年、突然行方不明になってしまった。

核物理学者K・チェチェロフ:「チャタエフは住んでいたアパートをを売り払い、仕事も辞め、姿を消してしまいました」

 チャタエフが姿を消したのと同じ頃、彼が作成した資料がモスクワで発見された。

地球物理学研究所所長(モスクワ)V・ストラチョフ:「私はもうかれこれ8年間も、モスクワにある、この地球物理学研究所の所長を務めています。科学アカデミーの会員であり、数学と物理学の教授でもあります。1995年3月に、初めてチェルノブイリの地震記録を見せられたとき、即座にその重要性に気づき、それを公表すべきだと思いました。地震学者でなくても分かることです。なぜなら、原子力発電所はチェルノブイリだけではないからです。チェルノブイリの事故が地震による影響を受けたのだとすれば、それは他のどの地域でも起こりうる問題です。無邪気にも私は、地震の記録を公表しさえすれば直ちに支持を得ることができ、全てを客観的に説明できるようになると考えていました。残念ながら、私の考えは間違っていました。」

 地震の記録は、軍の秘密の観測所で観察されたものだった。
(チェルノブイリの西、NORINSK、GLUSKOVITJI、PODLUBYの地名の記された地図が表示される。)

地震学者(ウクライナ)F・アブタカエフ:「チェルノブイリ原発の近くに地震観測所が設立されたのは、1985年のことでした。事故発生当時には、チェルノブイリから西へ110km~170km隔てた所に3ヶ所の地震観測所が設置されていたんです。この3つの地震観測所は、地元の地震を観測する目的で造られたものではなく、遠方の核実験を記録するためのものでした。(資料を見せて)これがチェルノブイリに最も近い観測所の地震記録です。」

 地震の記録があるにもかかわらず、当局は事故当時、地震が発生したという説を否定している。チェルノブイリは地質的に安定した場所だというのだ。

地震学者(ウクライナ)F・アブタカエフ:「反論者たちは、チェルノブイリ原発が建てられているのは、昔からある安定した地盤だから、地震が起きるはずがないと主張しています。でも、観測所の記録には地震の記録がはっきり捉えられていますし、事故の後にも地震が記録されているんです。つまり、チェルノブイリ地域が地震が頻発する場所であることは明白な事実なのです。」

地球物理学研究所所長(モスクワ)V・ストラチョフ:「国際原子力機関(IAEA)に提出した報告書で述べた通り、私たちは出火時刻と爆発時刻の比較検討を行いました。その結果、チェルノブイリ近郊で起きた地震は、多少誤差があったとしても、爆発の22秒前、あるいは23秒前に発生したと考えられます。原子炉本体を破壊することはない比較的小さな地震でも、内部の設備や冷却系統に被害をもたらすことは十分に考えられます。冷却系統には1600本のパイプがあります。発電所の操作マニュアルによれば、このうち20本が破裂した場合、事故があると見なされます。そして、それ以上、つまりパイプが20本どころか、50本とか100本とかの単位で破裂した場合、冷却機能に支障が出るのです。」

 地震記録によれば、チェルノブイリの事故当時に発生した地震は、狭い範囲で起きたもので、しかも震源地は発電所のかなり近くと思われる。

地球物理学研究所所長(モスクワ)V・ストラチョフ:「データによれば、揺れは大して大きなものではありません。しかし4号炉の下あたりには、固い変成岩の地盤の下の、深さ450mに断層が存在しています。ですから、震度4ほどの揺れでも、この断層が発電所やその設備に深刻な影響を及ぼす可能性はかなり高いのです。」

 チェルノブイリの業務日誌に記されているデータを元に、事故の証言を加えていくことによって、チェチェロフたちは事故の新たな真相を浮かび上がせた。事故発生の1時間半前、漁師たちは爆発音を聞いている。震源の真上に位置する中央建家にいた作業員は異常なほど慌てふためいていた。コンピュータセンターの責任者は、中央建家で青い光を目にした。ここで地震が起きる。地鳴りのような音に続いて、4号炉が振動する。運転員が強い振動に気づき、緊急停止ボタンを押す。振動はさらに強まる。衝撃と共に柱が揺れ、タイルが落下し、機械室の中で…(動画ファイルの境目につき聞き取れず)。

チェルノブイリ原発 隠されていた事実3/3

【以下perspectiveさんの書き起こし】
ここで強い揺れに見舞われ、原子炉が爆発する。17分後、運転員はもう一度爆発を記録している。このときには地震は収まっており、この爆発は地震記録にはない。

地球物理学研究所所長(モスクワ)V・ストラチョフ:「爆発が起きているなら、それは地震記録に記されているはずです。しかし実際には記録されていません。その理由は簡単に説明できます。このときの爆発では、すべてのエネルギーが上に向かって放たれたのです。爆発のエネルギーは地下には伝わらなかったため、記録には残っていないわけです。」

 大規模な爆発なら、全てのものを破壊するはずです。しかし、いくつかの部屋は被害を受けていません。原子炉の中に振動が伝わったのはたしかです。コンクリートの固まりが何カ所かで落下し、太い鋼鉄のパイプが水平方向の力を受けて曲がっています。

地球物理学研究所所長(モスクワ)V・ストラチョフ:「ようやく大がかりな調査が行われました。私が、わが政府の最高諮問機関である安全保障会議と、その下の科学委員会に手紙を書いたのです。科学委員会の会長は、ロシア科学アカデミーの会員でもあるアレクセイ・ヤブロコフです。彼の対応はいかにも上級の役人らしいものでした。私の手紙を読んで、調査を始めさせたのです。」

 ロシアとウクライナ共同の調査団が設置された。調査団が1996年に作成した報告書の結びには、事故の20秒前にチェルノブイリ地域一帯で地震が発生したことが記されている。この調査結果を否定する専門家たちは、発電所での時間の記録が間違っていると主張している。しかし地震学者のアブタカエフはそれをきっぱり否定する。

地震学者(ウクライナ)F・アブタカエフ:「原子力発電所には、発電所の中における技術工程を監視するため、制御装置と計測装置が導入されています。発電所にはクォーツ式の時計が備えつけられていて、あの晩24時に時刻を合わせたばかりでした。つまり、事故発生の1時間ほど前に時刻を合わせたばかりだったので、時計の精度はかなり高いのです。ですから、あの事故に関して我々が持っているデータは、時間に関する限り非常に正確です。あのとき、たしかに地震は発生していたのです。」

核物理学者K・チェチェロフ:「4号炉の中の様子はこの目で見ました。溶けて流れ出た金属は、障害物があったため、行く手を遮られ、その障害物の上へと流れ、そのまま固まっています。その様子は写真にも収められていますから、今でも見ることができます。溶けた金属は秒速5mで流れ出たと考えられます。1秒間に5mはかなりのスピードです。ゆっくりした動きではありません。溶けた金属は原子炉から50m弱流れていますから、10秒間の出来事であったことが分かります。そして、床に広がる間もなく、短時間に固まっているのが特徴です。」

地球物理学研究所所長(モスクワ)V・ストラチョフ:「事故当時、原子炉の中には人がいたという事実も見逃せません。当初、溶けた物質は原子炉から落ちたもので、非常に強い放射能を帯びていると考えられていました。しかし、実際には放射能はそれほど強いものではなかったのです。
 これはとても重要なことを示唆しています。つまり、全ての出来事が短時間に起こったため、原子炉内の物質が落下する時間もなかったということです。」

 KGBの文書にはこう記されている。「環境に危険を及ぼす放射性物質の効果を明らかにするような事故後の炉心に関する情報は、全て極秘にせよ」。ロシア国内で放射能汚染の度合を調べることは困難だが、国外では可能だ。国外での調査によれば、放射性物質の放出量は、ロシアが公式に発表している数値をはるかに上回っている。ということは、原子炉内に残っている放射性物質は、これまでに考えられていた量より少ないということである。

核物理学者K・チェチェロフ:「放射性物質の96%は原子炉内にあり、大気中に放出されたのはわずか3~4%だと言いますが、私はその逆だと思います。」

地球物理学研究所所長(モスクワ)V・ストラチョフ:「純粋に、地震学的見地に立ってあの事故を検証してみると、爆発前に地震が起きた、という結論が引き出されます。この結論は完全に正しく十分に根拠があるものです。
 原子力発電所の稼働には大量の冷却用水が必要となることは、揺るぎない事実です。したがって、原子力発電所はどうしても川岸などの水辺に建設せざるを得ません。そして概して、川は断層に沿って流れているのです。ですから、冷却用水を確保しようとすると、必然的に断層の上に建設する結果を招いてしまうのです。これが実態です。」

 ロシアの地質学者によれば、旧ソ連の領域には、立地に問題のある原発が8ヶ所ある。チェルノブイリ(TJERNOBYL)、ロブノ(ROVNO)、カリーニン(KALININ)、ベロヤルスキ(BELOJARSK)、クルスキ(KURSK)、サスノビボル(SOSNOVI BOC)、サホロスク(SAPORSK)、――そしてイグナリナ(IGNALINA)。とりわけ危険だといわれる現在のリトアニアにある原発だ。

世界銀行産業・エネルギー部元部長A・チャーチル:「これまで原子力政策で主流だった考えは、何も対策を講じない、というものです。つまり、現存する原発は稼働を続け、建設中の原発は完成させるという考えです。今は新しい原発を建設しないというだけの話です。昔からあるチェルノブイリと同じ型の原子炉は今でも稼働を続けています。事故以来、あのタイプの原子炉で自主的に閉鎖されたものはありません。ソビエト時代に作られた昔の小型の原子炉も、未だに全く閉鎖されていないのが原発です。世界中どこでも基本的には何の対策も講じていないんです。」

 ヨーロッパ諸国が経済的負担を分かち合えば、東ヨーロッパの危険な原発を閉鎖し、代わりに他のエネルギーを使用することも可能だ。しかし、それが実現していない背景には、原子力産業界の圧力が関わっているのだろうか?

世界銀行産業・エネルギー部元部長A・チャーチル:「ヨーロッパの原子力産業界は、大きな権力を握っている圧力団体です。政治家はこうした相手を敵に回すことにためらいを感じています。そしてまた財政面でも、原発の廃止にかかる費用を納税者に求めなければならないことにも尻込みしているのでしょう。もちろん結局は、危険な原発を抱えている国自体が、原発を廃止する計画には乗り気ではないのです。」
(終)
************************

ここからは私(竹野内)が2008年、書いたもの。2007年新潟の地震が柏崎原発を直撃し、とにかく原発震災を防ぎたい一心で、TV番組の企画を5,6個書いたのですが、そのうちのひとつ。NHKにもっていった下記の企画は、あっけなく無視されました。

(2008年、TBSの報道特集で『地震と原発』の企画は通り、実際に放送されました。地質学者生越忠氏が、活断層の権威、松田時彦氏と対峙するインタビューが実現。しかし、その後、フクシマ事故は起きてしまいました!!!もうこれ以上、地震による原発事故は起きてほしくありません。)

チェルノブイリ原発事故は実は地震で引き起こされていた!?By Mari Takenouchi 2008




デンマーク国営放送による番組


事故前の2009年ごろ、原発震災を防ぎたいと、チェルノブイリ地震原因説の企画をNHKの良心的と言われるディレクターにもっていったが、断られてしまいました。
チェルノブイリのように、制御棒が最後まで入らずに、核暴走事故になったらどうなるのか。私は、日本にもその可能性が今も大いにあると思っています。誰もそれを語っていないが。チェルノブイリだって直下の地震が引き起こした説もあるのです。

すなわち、制御棒が最後まで挿入されずに核暴走につながる場合です。その場合は、みなさん、ベントなんて悠長なことは言っていられませんよ!数分以内に、有無を言わさず、中のものが大放出されてしまいます!この危険性を言う人がいないのがおかしい!

と思っていたら、NHKでも放送された97年のデンマーク国営放送によるチェルノブイリ地震説の番組の文字お越しを掲載している人がいました。(福島事故の後でさえも、まったく専門家ではなく、こういう個人でしか、言ってくれる人がいないとは。日本は末期症状です。)

http://blog.goo.ne.jp/kimidoriaoi/e/8e43a243d75a1e959032071e38fc6d74
ところで、私が信頼している70年代から一貫して地震と原発問題で原発に反対し、東大と闘ってきた地質学者、生越忠氏がチェルノブイリ地震説は信頼性があると話しています。私もいろいろ調べて、かなり信頼性が高いと思っています。
数年前にいろいろ調べたメモ書きが以下にあります。
選んで企画を持って行ったNHKディレクターはお二人で、1994年に既にCIAや正力の部下の柴田の関与を含めた(どこから情報を得たのだろうと少し不思議)ドキュメンタリー『原発導入のシナリオ』を制作した、東野真ディレクターとチェルノブイリの秀作をいくつも出し、福島事故後のETVの番組で文化庁芸術祭大賞、日本ジャーナリスト会議大賞などを受賞した、七沢潔氏。
七沢氏が「なぜあなたは、こんなに詳しいのですか?」私に尋ねました。とても怪訝な表情をされていたのを覚えています。
私は、自分がもともと、原子力資料情報室にいたこと、最近は地震と原発問題に長年取り組んできた生越忠氏の自宅に通い詰めて情報を集めていることを説明し、「近々、原発震災事故が起きてもおかしくありません。起きる前に、番組をぜひ作ってほしい。まだ事故は起きていない。どうにかNHKで番組を作り、世論を動かし、事故を防ぎたいのです!原発震災が起こってしまったらどうしようもないのです。」と懇願したが、本当に、不思議なくらいあっさりと断られてしまいました。

NHK文化センターでの面会でしたが、窓から夕陽がちょうどがさしていて、お二人の表情が、まったく無感動だったのを覚えています。落胆して帰りました。


以下が当時書いていたメモです。 

黒は竹野内も論文を読み、科学アカデミー論文(Seismic Phenomena in the Area of Chernobyl Nuclear Power Plant)に書いてあったとして確認してOK, 赤は生越忠先生書いたもので、どうやら別の文献も調べたのか、科学アカデミーの論文には書いてないもの、青は竹野内が論文を読んで追加。


1986426日 (以下の時系列の参考文献は何でしょうか?生越先生の緑の冊子における2ページ目の記述と10ページ目の記述に、数秒の誤差があるのはなぜでしょうか?以下は10ページ目の記述によるものが中心)


012335秒:地震発生

012338秒:運転士、冷却池取水口あたりが振動し始めるのに気づく。

012339秒:地鳴りのような音に続いて事故原発の原子炉施設全体が強く振動

012340秒:原子炉管理責任者、制御棒挿入のため、AZ-5のボタンを押す。その2,3秒後、制御棒が最下部まで届かず、途中で止まってしまったのが確認される。

012342秒:原子炉管理責任者が強い振動に気づき、原子炉運転緊急停止ボタン(AZ-5)を押すことを運転員に命令。(同じ生越氏の論文2ページの記述では制御棒ボタンを押したのは、40秒となっている。)それによって制御棒が降下し始めた。

012345秒:振動さらに強くなり、制御棒が最下部まで届かないうちに止まってしまった。

012349秒から59秒:チェルノブイリ爆発、つまり少なくとも爆発の10秒前までに地震が起きた可能性。可能性の高いのは16秒前。

012348秒:炉心の圧力が急上昇し始めたが、この時点では、原子炉の爆発はまだ起こっていなかった。

012355秒:振動がいっそう強くなり、その衝撃によって柱が俺、タイルが落下し、機械室の内部で光がきらめき、窓ガラスが割れたりするなどの自体に立ち至ったため、発電所はコントロールを失うと同時に止まってしまった。

012358秒:原子炉が強い揺れに見舞われ、ついに爆発を引き起こした。

0139分:2度目の大爆発(ただし、この爆発の地震計の記録はない)

014055秒:上記の爆発に続き、2度目の爆発があった。(2ページ目の記述では、この爆発は39分頃となっている。


分析の結果、爆発の前に地震が起きていた事がわかる。というのも、地震の波形と爆発の波形は異なること、また、1995年と1996年に計測したチェルノブイリ原発のサイトにおける地震による波形が似ているからである。ちなみにウクライナとベラルーシの地震計は、チェルノブイリ事故前の微小地震を感知するほどの精度はないもので、記録には残っていない。


1986427日 ソ連政府、「チェルノブイリ原発事故処理委員会」を設置

1986430日 ソ連政府、「ソ連原子力発電所事故調査特別委員会」を設置

19867月   ソ連KGB、国内主要機関に対し、「事故の新の原因を明らかにする情報は絶対に公表してはならない」という秘密司令を出す。(これの情報源は?)

1986825日 ソ連政府、原子炉低出力試験中に運転員が違反操作を行なった事を原因とする、チェルノブイリ原発事故についての報告書をIAEA専門家会議に提出。


198699日 日本の原子力安全委員会が、上記の報告書に基づいた「ソ連原子力発電所事故調査報告書(第一次)」を取りまとめる。


1987729日 チェルノブイリ原発元運転員らに有罪判決

1988427日 「チェルノブイリ原発事故処理委員会」の責任者であり、クルチャトフ原子力研究所副所長であった核物理学者レガソフ氏が自殺

1988127日 ソ連南部のアルメニア共和国でM=6.8、死者24817人のスピタク地震発生。

198812月 ソ連のルコーニン原子力発電相、地震の被害は受けなかったものの、スピタク地震の活断層南端から12-13kmのアルメニア原発の稼動中止を決定。また、地震危険地帯(アルメニア、グルジア、アゼルバイジャン、ミンスク付近、オデッサ付近、グラスノダール付近)で建設中ないし計画中の6つの原発の建設を中止すると発表。

1990年 事故の直前に地震示す記録が明らかに(何がきっかけ?)

19911月 ソ連原子力産業安全関し国家委員会の特別調査委員会がソ連邦最高会議のチェルノブイリ原発事故調査委員会の司令を受け、「ソ連原子力発電所事故調査報告書(第二次)」を取りまとめる。原因は第一次とは異なり、原子炉設計の欠陥及び責任当局の怠慢によるもの。(日本の原子力安全委員会は、第二次報告書に基づいた報告書は現在までまとめていない)

1995年 チェルノブイリ地点での地震が事故の原因という論文を書こうとし(証拠は?)、結局発表を断念したた地球物理学者、M.チャタエフ氏、消息不明に。

1995年        モスクワのロシア科学アカデミー、キエフのウクライナ国立科学アカデミー地球物理学研究所、および同アカデミー地球物理学研究所の合同調査班により、チェルノブイリ事故原因説の調査を行い、直前の地震が誘発したと結論。

199565日 上記ニュース、タス通信で配信

199566日 上記ニュース、 毎日新聞記事に。

1996年        同調査班による報告書、上記3研究所、専門家10名の共著として公表。

1997年        ミルトンメディア及びデンマーク国営第2放送局が「隠された要因-ショッキングな真の要因の新しい証拠(The Secret Factors-Sensational New Evidence of the Real Cause)」と題するドキュメンタリ番組を放送。(デンマークでの反応は?)

1997815日 NHK教育テレビで上記の番組に基づいた日本語版の番組を放送。(小出五郎さん{2003年、全くの別件で竹野内は一緒に仕事した事があります。今でも連絡取れます。}も、地震説を否定することは出来ないと言っていた。)




チェルノブイリ原発立地点における諸問題の考察(生越氏が書いたもの)


1. プリピャチ川の河岸に位置し、地下水位が高く、湿潤状態。

2. プリピャチ断層という大きな断層(何Km?)にほぼ沿って流れている。(世界の原発全ては、川や海のほとりに立っているのであり、地形的要素や湿潤状態など、同じような地理的要素があるのではないのだろうか?だとしたら、チェルノブイリの他の号機で同様の事故が起きなかったのは、何の疑問も持たないが、今まで世界4百数十基中の他の原発で目立った事故が起きていないのは、全くの幸運ということなのか?)

3. 立地点はプリピャチ断層及びテテロフ断層という2つの活断層の接合点付近に位置しており、現在でも微小地震が発生している。

4. 立地点付近は、活断層の州という言うべき地域になっており、上記の二つの活断層のほかにも、多くの活断層がいろいろな方向に密集して走っている。

5. デンマーク国営放送の番組によると4号機の敷地に合った断層が地震時に変位して起こったものという考え方を明らかにしている。

6. 4期の全期間を通じて垂直変位が40m以上に及んだ場所も知られている。

7. 新第3期から第四期にかけて活動した断層の多くは、断層面がまだ十分に癒着していないので、断層面に沿って香水、融雪水や空気が置く不覚まで浸透し、風化がかなり進行している。



    当時のソ連当局は、事故発生直前に地震があったことは記録にも正しくとどめられている動かしがたい事実であるにもかかわらず、この事実を頭から否定し、チェルノブイリ地点一帯は地質学的に安定した場所なので、地震が起こるはずはないと主張した。

    一部の専門家は(誰?)事故原発で事故が発生する直前にその付近に地震があったことを否定し、その理由を発電所内で作業に従事していた技術員が地震の発生自国を誤って記録したことによるものとして説明した。しかし、当時発電所ないにはクォーツ時計が備え付けられていて、事故発生の約一時間半ほど前の4252400分に正確に時刻を合わせたばかりだったのであるから、誤って記録したということは考えられない。

    ソ連政府は1985年、事故原発の立地点の西方約100kmないし、180Kmの距離におけるウクライナ楯状地の3箇所に地震観測所を設置し、核実験のモニターのために地震観測を開始した。ここで観測された地震の記録は一斉非公開になっており、事故の原因調査に関わる科学者たちに公開されたのは、事故発生後、9年を経過した1995年のことであった。


?追加の質問-以下のチェルノブイリ地震説の否定説をどう思いますか?


チェルノブイリ原発立地点について(ロシア科学アカデミー英文の論文を読み、竹野内が追加)


MAGATE(ロシア政府からIAEAに提出されたチェルノブイリ原発事故に関する報告書)の勧告としても、付近の地震活動の情報を設計時にきちんとされるべきであったとされている。しかし、付近の地震活動のみを注視していたため、施設の設計とかみ合わせた調査は、十分になされなかったと言う。


チェルノブイリ付近でやっと本格的調査がされ始めたのは、1991年になってからであり、この新たな調査の結果として、チェルノブイリ原発が地域にある二つの断層(南プリピャチ断層とテテレフ断層)が交差する上に立っている事が発見された。


宇宙からのテクトニクスマップと地域の地震形態より、Neogene-Quaternary期に活動していた断層であることがわかった。特に微小地震が数多く見られる地域は(チェルノブイリ事故当日の地震波とは言っていない)、チェルノブイリから10から15km離れた地域である。(竹野内注:反対論者、カルパン氏は(わざと)混同しているのか!?)


この地域での近くに溜まったひずみは、深いテテレフ断層によるものだが、この一帯の岩石圏においていたるところに活断層が存在する。


  TV番組用の構成案






内容

材料および論点


チェルノブイリ事故当時

当時の映像

被害の実態


デンマーク国営放送による「地震説」

ミルトンメディア及びデンマーク国営第2放送局が「隠された要因-ショッキングな真の要因の新しい証拠(The Secret Factors-Sensational New Evidence of the Real Cause)」と題するドキュメンタリ番組を放送


小出五郎氏による教育テレビでの上記放送

小出五郎氏の意見(中立的立場)-地震説が真実かどうかの確証は未だにないが、同時に地震説が真実でないとする否定要因もない。


生越氏による検証

生越氏の意見-地震説は真実だと考える。

1.(地図とCG)立地点はプリピャチ断層及びテテロフ断層という2つの活断層の接合点付近に位置しており、現在でも微小地震が発生していると同時に、立地点付近は、このほかにも、多くの活断層が様々な方向に密集して走っている。

2.(地震計と核実験の映像)ソ連政府は1985年、ウクライナ楯状地の3箇所に地震観測所を設置し、核実験のモニターのために地震観測を開始した。ここで観測された地震の記録は一斉非公開になっており、公開されたのは、事故発生後、9年を経過した1995年のことであった。ただし、事故当時のソ連当局は、事故発生直前に地震があったことは記録にも正しくとどめられている動かしがたい事実であるにもかかわらず、この事実を頭から否定し、チェルノブイリ地点一帯は地質学的に安定した場所なので、地震が起こるはずはないと主張した。

3.(イメージ映像)当時のソ連KGBは国内主要機関に対し、「事故の真の原因を明らかにする情報は絶対に公表してはならない」という秘密司令を出していた。

4.(写真と記事)1988年、「チェルノブイリ原発事故処理委員会」の責任者であり、クルチャトフ原子力研究所副所長であった核物理学者レガソフ氏が自殺

5.(映像と記事)88年、ソ連南部のアルメニア共和国にてM6.8の地震発生、死者2万人超。この年、ソ連政府、地震危険地帯(アルメニア、グルジア、アゼルバイジャン、ミンスク付近、オデッサ付近、グラスノダール付近)で建設中ないし計画中の6つの原発の建設を中止すると発表。

6.(写真と記事)チェルノブイリ地点での地震が事故の原因という論文を書こうとし(証拠は?)、結局発表を断念した地球物理学者、M.チャタエフ氏、消息不明に

7.(当時の映像)95年、モスクワのロシア科学アカデミー、キエフのウクライナ国立科学アカデミー地球物理学研究所、および同アカデミー地球物理学研究所の合同調査班により、チェルノブイリ事故原因説の調査を行い、直前の地震が誘発したと結論

8.(クォーツ時計映像)一部の専門家は事故原発で事故が発生する直前にその付近に地震があったことを否定し、その理由を発電所内で作業に従事していた技術員が地震の発生時刻を誤って記録したことによるものとして説明した。しかし、当時発電所ないにはクォーツ時計が備え付けられていて、事故発生の約一時間半ほど前の4252400分に正確に時刻を合わせたばかりだったのであるから、誤って記録したということは考えられない


内容
材料および論点
チェルノブイリ事故当時
当時の映像
被害の実態
デンマーク国営放送による「地震説」
ミルトンメディア及びデンマーク国営第2放送局が「隠された要因-ショッキングな真の要因の新しい証拠(The Secret Factors-Sensational New Evidence of the Real Cause)」と題するドキュメンタリ番組を放送
小出五郎氏による教育テレビでの上記放送
小出五郎氏の意見(中立的立場)-地震説が真実かどうかの確証は未だにないが、同時に地震説が真実でないとする否定要因もない。
生越氏による検証
生越氏の意見-地震説は真実だと考える。
1.(地図とCG)立地点はプリピャチ断層及びテテロフ断層という2つの活断層の接合点付近に位置しており、現在でも微小地震が発生していると同時に、立地点付近は、このほかにも、多くの活断層が様々な方向に密集して走っている。
2.(地震計と核実験の映像)ソ連政府は1985年、ウクライナ楯状地の3箇所に地震観測所を設置し、核実験のモニターのために地震観測を開始した。ここで観測された地震の記録は一斉非公開になっており、公開されたのは、事故発生後、9年を経過した1995年のことであった。ただし、事故当時のソ連当局は、事故発生直前に地震があったことは記録にも正しくとどめられている動かしがたい事実であるにもかかわらず、この事実を頭から否定し、チェルノブイリ地点一帯は地質学的に安定した場所なので、地震が起こるはずはないと主張した。
3.(イメージ映像)当時のソ連KGBは国内主要機関に対し、「事故の真の原因を明らかにする情報は絶対に公表してはならない」という秘密司令を出していた。
4.(写真と記事)1988年、「チェルノブイリ原発事故処理委員会」の責任者であり、クルチャトフ原子力研究所副所長であった核物理学者レガソフ氏が自殺
5.(映像と記事)88年、ソ連南部のアルメニア共和国にてM6.8の地震発生、死者2万人超。この年、ソ連政府、地震危険地帯(アルメニア、グルジア、アゼルバイジャン、ミンスク付近、オデッサ付近、グラスノダール付近)で建設中ないし計画中の6つの原発の建設を中止すると発表。
6.(写真と記事)チェルノブイリ地点での地震が事故の原因という論文を書こうとし(証拠は?)、結局発表を断念した地球物理学者、M.チャタエフ氏、消息不明に
7.(当時の映像)95年、モスクワのロシア科学アカデミー、キエフのウクライナ国立科学アカデミー地球物理学研究所、および同アカデミー地球物理学研究所の合同調査班により、チェルノブイリ事故原因説の調査を行い、直前の地震が誘発したと結論
8.(クォーツ時計映像)一部の専門家は事故原発で事故が発生する直前にその付近に地震があったことを否定し、その理由を発電所内で作業に従事していた技術員が地震の発生時刻を誤って記録したことによるものとして説明した。しかし、当時発電所ないにはクォーツ時計が備え付けられていて、事故発生の約一時間半ほど前の4252400分に正確に時刻を合わせたばかりだったのであるから、誤って記録したということは考えられない


チェルノブイリ地震説を否定する人の見解

(竹野内注:こちら、専門の生越先生にも後で見ていただき、意見してもらう予定です。いずれにせよ、先生は、「反原発の人たちも地震説に対し、根拠もなく否定している態度が非常におかしい!」とおっしゃっています。私も今回地震説の反論をちょっとだけ読んでみてどうもおかしいような気がしています。)

ニコライ・カルパン(KARPAN Nikolay Vasilievich:専門は原子炉物理。旧ソ連の核秘密都市であったクラスノヤルスクやトムスクで働いたあと、1979 年からチェルノブイリ原発に勤務。チェルノブイリ事故が起きたときは、原発の副技師長であったが、発生現場には居合わせなかった。旧ソ連最高会議の指示により、1991 年に事故原因の見直しを行ったシュテインブルグ委員会のメンバー。現在は、ウクライナ原子力規制委員会の嘱託。キエフ在住。(竹野内注:つまりこの方は、立場としては過去も今も原子力推進者


チェルノブイリ事故の原因が地震であったと私が最初に目にしたのは、「技術青年」誌の1996 12 月号に掲載されたヴィターリ・プラヴディフツェフの「チェルノブイリ:10 年後」という論文だったが、80歳を超えている彼は事故の開始時刻を15分以上間違えていた。(竹野内注:こちらの論文は割愛します。元の論文を生越先生も読んでいないので。しかし、著者は80歳だから、間違ったことを書いているのではと揶揄しているあたりは、大変ロジカルでなく、また品位のない反論だと私は思う。いずれにせよ、この論文はまだ読んでおりません。次の論文が生越先生の検証済みです


1997年ロシア科学アカデミーの地球物理合同研究所、ウクライナ科学アカデミーの地質物理研究所と地質研究所の研究者グループが再びこの問題を取り上げたが、軽率な部分あり。たとえば、論文では、地震が発生した時刻は1時23 39±1秒とされている(秒単位の確かさで!)。この場合、震源距離の不確かさは±10kmとされているが、これを地震到達に関する誤差にすると±3.4 秒に相当する(10kmを地震波の表面速度V=2.9km/秒で割った値)。その他、論文には、地震計の設置されていた場所において、地震波が記録された時刻が示されていなかった。つまり、著者が示している結論の検証が困難であった。何年か後(2000 年)、同じ著者たちがチェルノブイリ事故を再び取り上げている[3]

「弱い地震(MRU=2.6MS=1.4)がチェルノブイリ原発地域にある3カ所の地震観測所で記録された...地震波の予備的な解析によると地震動は自然によるものである」。著者によると、震源までの距離の誤差は、±10km[2]±15km[3]とされている。この誤差は、事象発生時刻にも少なくとも(1±5.3)秒の誤差がともなうことを示しているが、そのことは以前と同じく著者の注意を惹かなかった。(竹野内注:科学アカデミーの著者らは、地震発生時刻はチェルノブイリ地点での発生の4秒前の35秒としているので、この人が勘違いしている気がする。きちんとオリジナルの科学アカデミーの論文は読んだのだろうか?地震は専門外の人(原子炉物理で地震は門外)のはずだが、このような人が科学アカデミーの地球物理学専門のエリート数人で書いた論文に果たして反駁できる力があるのだろうか???おおいに疑問である)


、振動と唸り音が6~8秒間あったという証言がある。しかし、それが確かに1時2339 秒にはじまったという記録はない(論文では何も確認されていない)。「唸り音と振動の出現」を“分”の確かさで記憶した人は発電所にはいなかったであろう。なぜなら、それに引き続く爆発は人々を別の問題にまき込んだからだ(証言では1時15 分から1時25 分の間、運転日誌では1時24-25 分である(竹野内注:この部分を読むとカルパンご本人こそ、矛盾したことを言っている。というのも、カルパンの結論は、「爆発における様々な事象と比べると、時系列的に地震が後だ」という主張であり、この主張はまさにあのパニックで頼りにならない運転員の記憶に基づいているからだ。)


この地域で震度7の地震はありえない。(竹野内注:ところでこの震度は日本の震度とは違う単位。いずれにせよ、ロシア科学アカデミーは震度2だったといっているのだが、カルパンさんの勘違い。。。?


チェルノブイリ原発は設計地震で震度5、最大想定地震で震度6まで耐えられるように出来ていた。(竹野内注:推進側の設計上大丈夫だ安全だという理論を事故後にさえ主張するのは非常におかしい。上記は机上の設計における限られた話で、起きてしまった事故の理由・説明にはならないはず。想定外で起きるのが事故であり、また様々なファクター(共振現象、機器の劣化、中性子脆化、各機器の固有振動の差異、また直下の地質・地盤の問題)に全く触れずにこのような結論を出すのはおかしい。


チェルノブイリ原発と震源との位置関係を考えると、原発に地震が到達したのはちょうど1 23 45 秒となる。そうすると、先に述べたように、(1 23 43 秒に)原子炉での破壊的な事故プロセスがはじまった直後に地震がやってきたことになる。つまりは、1986 4 26 日に地震観測ステーションで記録された事象は、チェルノブイリ原発4号炉事故にともなう局所的で強力な震動(衝撃や爆発)であったことを示している。(竹野内注:ロシアアカデミーの著者らは、地震発生の時刻を12335秒、そしてチェルノブイリ原発への到達時刻を12339秒としているので、これも論外の議論である。だいたいカルパン氏は、結論の中でなぜか震源が原発から10から15km離れたことにしているが、科学アカデミーの専門家は東にわずか1kmとしている。いずれにせよ、到達時間推定の元となる震源地を特定するのは地震の専門家でさえ難しいはずだ。にもかかわらず、原子炉物理が専門のカルパン氏の、「推定震源地との距離の計算により、地震が事故の直後に来ているので地震説間違いの根拠である」と強弁する態度は、非常におかしいのではないか?