原発温排水と地球温暖化についてのブログはこちらhttp://fukushimaworkerslist.blogspot.com/2013/11/blog-post_14.html
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本日、非常に非常にありがたいことがありました!!!なんと、反原発の草分け的存在、東京芝浦工大の教授、故・水戸巌さんの奥様に本をお送りしたところ、激励のお言葉と共にカンパ迄頂いてしまったのです!!!
故・水戸巌教授(なんとご実家は福島県)は、70年代から反原発の草分け的存在で、原発からの温排水問題を「原発は海あたため装置だよ」と指摘、チェルノブイリ事故が起きた時に、日本でも半分以上の確率でこの事故は起きると警告。小出裕章氏や高木仁三郎氏も教えを受けたと聞いています。
ところがそのチェルノブイリの事故の起きた1986年の年末、なんと水戸教授は双子の息子さんと共に山で遭難!不審死をされていたのです!
この部分は私もずっと後から知ったことです。 実は2007年に伊方原発の反対運動で有名な伝説の記者、近藤誠さんを訪ねて愛媛県まで行ったとき、近藤さんが「原子力村は幾人も人を殺している。水戸巌さんなどは絶対そうだと多くの人の間で噂になっている」というセリフが忘れられないでいたのです。(ちなみに斎藤さんは死の4日前まで伊方原発前では原発反対の演説を車いすからされていました。近藤誠さんについて竹野内が以前に書いた記事→https://takenouchimari.blogspot.com/2013/04/blog-post_14.html 中央構造線の目の前の伊方原発超危険!)
そして 福島事故後10年で、水戸巌さんの著作(2014年出版)を見つけたところ、妻の喜代子さんの以下のような執筆を読み、びっくり仰天!親子3人とも殺害された可能性があるのです!!!大変なことだと思いました。親子3人なんて、残された水戸未亡人のお気持ちたるやいかばかりでしたでしょう。。。
チェルノブイリの事故の年である1986年、不可解な遭難事故で双子の息子と共に亡くなった東京芝浦工業大学故・水戸巌教授と双子の息子。嫌がらせは日常茶飯事であり、切断された指が送り付けられたり、「命があると思うな」と電話がかかったりしていたという。日本の反原発の草分け的存在で原発の温排水問題も訴えていた。1986年12月、双子の息子ともども山で遭難して死亡。
妻の嘉世子さんによれば、「テントのファスナーは閉じていて、谷に向いた面だけにT字型の破れ目があって、そこから谷筋に向けて体が放り出されたと思われる。この破れ目は何が原因でできたものか、なぜ靴はテントに残したまま、全員が寝袋と共に靴下姿で谷筋から発見されたのか、頭部の血痕の原因は何か、などなど登山家たちから聞く『気象遭難説』だけでは説明したことになっていない。」
妻の嘉世子さんは、福島事故が起きるまで3人の死を受け入れられず、涙も出なかったそうですが、福島原発事故をテレビで見て、涙が止まらず、水戸巌氏の遺品であった時計を見つつ、遺志をつぐ決意をしたそうです。
今回、私が本を出版し、アマゾンに載らない期間長く、意を決して自分のメールmariscontact@gmail.comを開示し、読みたいという人に自宅から送り始めました。するとどうでしょう!水戸嘉世子さんご本人から、「本を読みたい」というメールがある日来たのです!
息子と抱き合って、私の方が半泣きになって喜びました!水戸喜世子さんは私が一番送らせて頂きたいと思った方でした。奥様と水戸教授、亡くなられた双子のご子息のために、と4冊送らせて頂きました。。その方からこのような激励とカンパを頂くとは夢にも思っていませんでした。
水戸嘉世子さんのような心ある方と共に、日本と世界の原発停止を訴えたいと共に、殺人事件には時効はすでにないはずです。もんじゅ西村事件同様、水戸教授とご子息の事件についても世間が注目し、真相究明すべきと考えます。
その他の日本における原子力関係の不審な事件はこちら
https://takenouchimari.blogspot.com/2013/04/blog-post_1741.html